エスメラルダ
第八章・転換期
「ねぇ」
 レーシアーナは唐突に言った。
「貴方の間諜に私の未来の夫についての事を探ってもらえないかしら? レイデン家にはそのような人材的財産はないの」
 エスメラルダは目を眇める。
 ブランシールの事なら既に探らせている。だけれども、その内容をレーシアーナに知られたくなかった。同時に知られたくもあった。
 夏の気配が猛々しいくらいに漲るある午後。
 日陰で冷たい檸檬水を飲み、氷菓子を食べる。普段なら他の淑女達も礼儀上、呼ばなくてはならないのであるが、幸いな事に大物と目される淑女達の大半が避暑地に出かけていた。
 そして『自分が王都に残らねば政が滞る』と考えている淑女達には体調を悪くしたのだとカードと花束を贈った。
 仮病を使うことに少し躊躇いがあったレーシアーナであったが、彼女には何としてもエスメラルダと二人きりで会わなくてはならない事情があったのである。
 それが、ブランシールの事。
「ブランシール様は変わられてしまったわ」
 レーシアーナは言った。
「そう、『真白塔』の最上階が焼けた時か、その前後よ。何だかおかしいの。いつも上の空でいらっしゃるわ。陛下だけがブランシール様を元に戻せるの。聡明で思慮深いブランシール様に。でも陛下がいらっしゃらないと駄目なの。虚ろな目で、わたくしの後ろに誰か居るかのように、焦点の合わない瞳で何処かを見てらっしゃるの。陛下に申し上げようかとも考えたけれども、それをしたらブランシール様は一生わたくしを許しては下さらないわ。解るの。ブランシール様は……!!」
「もういいわ。レーシアーナ」
 エスメラルダはハンカチーフを取り出す。
 レーシアーナの頬はいつの間にか涙に濡れていた。
 きっとレーシアーナは知っているのだわ。
 エスメラルダはそう思う。
 ブランシールの秘密を。
 レーシアーナが未来の王弟妃と決まって、レイデン家は再興された。元々の家格が高いそこでは華やかに人々が集うと聞く。
 だが、レーシアーナはその実家には寄り付きもしなかった。レーシアーナは自分が幼い頃父親に売られた事を、許す事は出来ても忘れる事は出来ないのだ。
 レーシアーナは城に新たな部屋を賜った。そしてサロンの一つを。
 そこで開かれる茶会。それに何度か出席したエスメラルダは色々な人々の思惑を見た。
 そして兄弟揃って顔を出すフランヴェルジュとブランシール。
 ブランシールは、兄の後に従うように、背中を守るようにたたずんでいる。
 フランヴェルジュは鷹揚に構え、淑女達の微笑を集めている。淑女達は少しでも国王陛下の歓心を買いたいのだ。
 サロンでの何気ない会話が夫の、恋人の、父の、兄弟の、出世に繋がるかもしれなかったしその逆もあった。
 エスメラルダは不思議な感じがした。
 そして此処は自分の居場所ではないと強く感じた。
 わたくしは、素のわたくしでいられぬ場所でなどいられない。
 それでも茶会に出席したのはレーシアーナの為であった。少しずつ萎れていくかのような友の為であった。
 可哀想なレーシアーナ。
 そのレーシアーナは婚約者が変わってしまったと泣いている。
 自分がすべき事はどちらであろう?
 真実を言うか。
 嘘を貫き通すか。
「レーシアーナ……おかしいといっても、わたくしは以前のブランシール様を存じ上げないのよ。それに、お茶会に時折顔を出されるブランシール様は普通の方に見え……」
「エスメラルダ! 違うのよ!! 確かにあの方はおかしくなってしまったけれども狂ってしまった訳では……!!」
「ああ、もう!」
 エスメラルダは不意に苛ただしい声を上げた。レーシアーナがびくりと体を震わせ、言葉を飲み込む。
「貴女は気付いているのでしょう!? で、どうしたい訳なの!? わたくしの古ぼけた頭では答えは出ないわ! 貴女が毒のような真実、貴女自身の疑いについてわたくしから確証を得たいのか、それとも慰めて欲しいのか解らないわ!」
 エスメラルダは優しい言葉を選べなかった。
 友など持った事がない故にエスメラルダは器用に対応する事が出来ないでいるのだ。
< 63 / 185 >

この作品をシェア

pagetop