暁を追いかける月

12 病める月


「エレおばさん、準備できました」
 竈にのせた大鍋で米を炒め終わったエレに向かって、女は声をかけた。
 エレが鍋から離れると、ユファは大鍋に水を入れていく。
「どれ、見せてごらん」
 調理台に広げられた大量の刻まれた野菜を見て、エレは満足する。
 性格が表れているのか、種類ごとにきちんとボウルに分けられているし、火のとおりにくいものは薄めに、煮くずれしやすいものはやや大きめに、最後の葉ものは茎の部分を分けてさらに細かく刻まれてボウルの左右に分かれておいてある。
「おやおや、上出来だよ。こりゃすぐに嫁に行ってもいいくらいだね」
 エレが言いながら、ボウルの中身を鍋に入れていく。
 空になったボウルを受け取ったユファがさらに洗い場に立っている女にそれを渡す。
 女は水をためておいた大きな桶に一度ボウルをつけてから手際よく洗っていく。
 あっという間に使い終わった道具が洗われ、終わると勝手口から出たすぐの大きな台に並べられて乾かされていく。
「駄目だよ、エレ。すぐに嫁に行かれたら、私が困る。こんな働き者の助手はそうそういないんだから」
 女を手伝い、大きなボウルを並べ終わったユファがきれいになった調理台に椅子を引き寄せて座る。
 女が茶器を出して茶をいれ始める。
 エレが調味を終え、鍋の蓋をしめる頃には、薬草茶の香ばしい匂いが調理場に漂っていた。
「それもそうだね。こんなに働く子はそうそういないよ。あたしの娘ならレノを追い出して跡を継がせたいぐらいだよ」
 からからと笑うエレの声に、ユファも笑い、女は複雑そうな顔をしてそれを黙って聞いていた。



 治療院の様子を窺う男衆達にも、その声は筒抜けだった。

「おっかさん、あんなこといってるぜ」
「本気でやりそうだからシャレになんねえな」
「くっそぉ、俺達の姐さんが……」
「新顔の女医者のユファって奴は、何だってあんなに態度でけえんだよ。まだ村に来て半年っていうじゃねえか」
「オロ爺様の弟子だってよ。親父様やおっかさんとも昔なじみらしい。医者になるために修行して、戻ってきたんだとよ。この治療院もその為に建てられたって」
「週に一度は粥を作って、この近辺の身寄りのない子どもや年寄り連中に振る舞ってるってよ。今日はちょうどその日らしいな」
「姐さんはその手伝いにかりだされてんのか」
「それは俺達にも出してもらえんのか?」
「馬鹿、駄目に決まってんだろ!!」
「ち、姐さんに会える口実になると思ったのに」
「俺達が出てた間に、そんなことになってたのかよ。ハラスの奴、何で言わなかったんだ!? あいつが金を渡しに行ってたんだから、知ってたんだろうに」
「まさか女医者がおっかさんと組んで敵にまわるなんて思わねえだろうよ」
「徒党を組むと女はつええからなあ」
「中でも最強はおっかさんだぜ」
「――おふくろには誰であろうと逆らえねえ。親父様だって勝てねえのに」

 締めくくるレノの言葉に、男衆達は一斉に溜息をついた。

「俺達の姐さんが、とられちまった……」
「こんなことが許されていいのか!?」
 女の作る食事で餌付けされていた男衆達は不満も未練もたらたらだった。
 村には戻ったが、男衆の大半は身寄りがなかったため、村の集会所を兼ねた村長のジェドの住まいの離れに居候の日々だ。
 食事は旅でのように当番制で作ってしのいでいる。
 この中で帰る家のあるのは、男とレノ、セオとカーラフ、まだ若いジルとロスだけだ。
 だからいっそう、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる女が恋しかった。
 決してにこやかな笑顔を見せてくれることはなくとも、その優しさは身に染みていた。
 人間らしい生活とは、女といたときにあったのだ。
 女のいない今、男衆達は思い知っていた。
 自分達の統領に女が必要なように、自分達にも女は必要なのだと。

 なんとしてでも、姐さんには統領の元へ戻ってもらわねばならない。

 男衆達は決意を新たにした。



「エレかあさん! 先生! 手伝いに来ましたよ!」
 明るい声が響く。
 外の竈の上に大鍋を移し終えたエレとユファ、女が振り返ると、一組の男女が腕を組んで寄り添いながらゆっくり近づいてくる。
 二十代後半ぐらいか、焦げ茶色の髪と瞳の男は背はそれほど高くはないが低すぎもせず、優しい顔立ちに似合わぬ、上半身が逞しい体つきをしていた。
 寄り添う女の方はもう少し若く見える。黒髪に黒い瞳で、可愛らしい顔立ちだ。腰を締めつけないゆったりとした服を着ていた。その腹部はやや膨らんでいるようにも見えた。
「おや、ダンにエイダ。出歩いてるってことは、つわりはおさまったのかい?」
「ええ、やっとよ、やっと!! 匂いもようやく大丈夫になったから、早速手伝いに来たわ」
 エイダは鼻をひくつかせて出来上がった粥の匂いをかぐ。
「ああ、いい匂い! これよ、これ! 味見してみてもいい?」
 エレは笑って粥をよそってやる。
 エイダが手を伸ばす前に傍らのダンがそれを受け取り、エイダを丸太を切っただけの簡単な椅子に座らせてから渡してやった。
「ありがとう、ダン」
 嬉しそうに受け取ると、ダンも笑い返す。
「俺は戻るけど、終わる頃には迎えに行くから、勝手に一人で戻ってくるなよ」
「わかったわ。お仕事頑張って」
「いってくる」
 エイダの頬に優しくくちづけると、ダンはこちらに会釈をして村へと戻っていった。
 ユファが肩を竦める。
「相変わらずお熱いことで」
「うふふ。だって新婚だもーん。んー、やっぱりエレ母さんのご飯最高! ――って、あら、あなたがジェスのお嫁さん? よろしく、あたしエイダ。やだ、すっごいきれい!! 東の人ね、いいなあ、その金髪」
 いきなり矛先が変わり、まくしたてられて、女は驚く。
「まだ嫁じゃないよ。若造の片思いってとこだね。無理矢理連れてきたぐらいだから」
「せ、先生――」
「えええ、何、あのジェスがぁ。やだ、びっくりぃ。そうよねえ、女の子の扱いなんか知らないでしょうに。昔から無愛想で何考えてるかわからなかったもん。似たような無骨な男達でつるんでて、何が楽しいんだか」
 エイダの物言いに、
「優しい人です!」
 女は口に出していた。
「作ったものは残さず食べてくれるし、準備や後片づけもしてくれます。仕事から帰れば、贈り物もくれるし、すごく気を遣ってくれるし、どんな願いだって、我が儘だって叶えようとしてくれる――言葉は少ないけど、優しい、人です。無理矢理連れてこられたわけじゃありません!」
 エレ、ユファ、エイダがぽかんとしている。
 それから、エレは嬉しそうな顔をして、ユファはしかめっ面をして、エイダはにやりとした。
「なぁんだ、先生、片思いじゃないみたいよ。ジェスのこと、よくわかってる」
「そうらしい、どうやら、また助手は新しいのを捜さないとね。なんてこったい」
「――いえ、あの、そうではなくて……」
「ごめんねぇ、昔なじみだから評価が辛口だったかも。悪気はないのよ。仲良くしてちょうだい」
「そうそう、エイダは貴重な同世代の女だ。年の近い女同士でおしゃべりするといい」
 差し出されたエイダの手を、女は握りかえす。
「――リュシアです。こちらこそ、出過ぎた口を……」
「さあさ、子ども達が顔見せ始めたよ。おしゃべりはまた今度だよ」
 上機嫌に聞こえるエレの声音に遮られ、会話は打ち切られた。
 後は、エレとエイダと女が並びが増えていく行列に粥を盛ってわたしてやる。
 ユファは座って粥を食べている者達をまわり、診療をしている。
 粥をもらった者達は、少ないですがと、少しの野菜や、僅かな銅銭、摘んだばかりの薬草や山菜などをおいて去っていった。
 空っぽになった大鍋は手分けして外の洗い場へ運び、女とエレで片付けた。
 身重のエイダは細々したものを中の洗い場で手際よく片付けてくれた。
 片づけが全て終わった頃、ダンの姿が村の方からこちらへ向かってくるのが見えた。
「ダン!」
「馬鹿、エイダ、走るな!」
 駆け寄ってきた新妻を、慌てて自分も駆け寄り、抱きしめる。
「お仕事抜けてきて大丈夫?」
「ああ。疲れてないか?」
「全然、楽しかった!」
 幸せそうな二人は、もう互いしか見えていないようだ。
「エイダ、戻ったら、忘れずにお茶を飲むんだよ!」
 ユファが怒鳴る。
「はーい。じゃあ、また!」
 新婚だという二人は、来たときのように仲良く寄り添って帰っていく。
 幼なじみだという二人は互いを思い合いながら成長し、結ばれたのだろう。
 そんな恋が、女には物語のように思えた。
 自分には、無縁の物語。
 もう三日、男とも男衆達とも顔を合わせていない。
 キリの話では、男と男衆の半分が、村から出て仕事に行ったとのことだった。
 ご飯はきちんと食べているのだろうか。
 また、無用な争いに巻き込まれていないだろうか。
 一週間後――あと四日で、みんな無事に帰ってくるのだろうか。
 黒ずくめの男の姿を、ふとした瞬間に捜してしまう。
 半年以上、いつも傍にいたのだ。
 離れていることのほうが不自然な気がした。
 そして、その反面安堵している自分もいる。

 男がいなくても、生きていける自分でなければならないのだ。

 これ以上傍にいたら、きっと自分達は駄目になる。
 男は勘当を解かれ、また村に戻れた。男衆もだ。
 ここで暮らしながら、働けばいい。

 そして自分は――いつか、ここを去る。

 一緒にはいられない。
 ふと顔を上げると、青白い月が空に見える。
 夜明けはとっくに過ぎたのに、消えないいびつな月。
 病んだような色と形の月は、まるで自分のようだと女は思った。
 明るい空には場違いな、役に立たない欠けた月。
 昼にしがみついたって、満たされるはずもないのに。

 早く消えてしまえばいい。

 そうして、目を逸らした。



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