暁を追いかける月

19 大切にしたいもの


 サヴァラの効果で、女の肩の腫れは三日でひいた。
 けれど、男はそれを知らない。
 あの日から男が女に会いに来ることはなかった。
 それまでであれば、必ず一日に一度は、例え男衆達と一緒でも来ていたのに。

 自分の人生の中に、男がいないこと。

 改めて、思い知らされる。
 生きてはいける。
 確かに、息をして、ご飯を食べて、働き、穏やかに過ごしていける。
 だが、それだけだ。
 男が傍にいないことが、こんなにも切ないものだと、思い知らされることが辛かった。



 昼の食事を終えて、女は茹でておいた野菜を絞っていた。
 水気をよく絞った後は、手伝ってくれているキリに渡して、調理場の裏手に吊して干してもらう。乾燥させて、保存食にするのだ。
「終わったぜ、リュシア」
 何をさせても手際のいいキリは、あっという間に仕事を終えて戻ってくる。
「終わりよ。休んでいいわ」
 女は、煮汁を瓶に移し替えていた。
 小分けにしてエレ達近所の人にも配るのだ。
 日持ちはしないが、これで粥や汁物を作ると滋養にいいのだ。
 妊婦にもいいので、エイダのところにも持っていこうと思っていた。
 全て移し替えて蓋を閉めていく。
「リュシアの瞳の色だ。綺麗だな」
 キリは透明な瓶に閉じこめられた若草色を面白そうに眺めていた。
「これよりも、もっと鮮やかで綺麗な若草の石があるわ」
 言ってから、女ははっと何もない胸元に目をやり、押さえた。
 血が引いていく。

 首飾りが、ない。

「リュシア?」
 キリの訝しげな声も、耳に入っていなかった。
「キリ、ごめんね、ちょっと――」
 鍋を流し場において、女は急いでユファの自室へと向かった。
 忙しなく扉を叩いて、返事も待たずに扉を開ける。
「リュシア? どうしたんだい?」
 机で書き物をしていたユファは手を止めて女を見た。
「すみません、先生。聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「はい。あたしが初めてここで治療してもらった時のことです。あたし、首飾りをしていませんでしたか?」
「首飾り――してなかったよ。傷を縛っている絹以外は、上半身には飾り物は身に付けてなかったね。大切なものだったのかい?」
 予想はしていたものの、ユファの言葉に動揺を隠せない。
「――先生、午後から、お休みをもらっていいですか?」
「いいよ。何か手伝えることはあるかい?」
「いえ。自分で探します。すみません、じゃあ」
 礼もそこそこに、女は急いで瓶を篭に移し替え、キリに届けるように頼み、自分はエレの家に戻った。
 部屋の戸棚を開くと、運び込んだ自分の荷物の中を探す。
 エレの家で暮らすことになったとき、男が言いつけて、男衆達が女の荷物をそのまま持ってきたのだ。
 蓋付きの箱には、男から贈られたものが全て入れてある。
 蓋を開けて一つ一つ丁寧に中身を確かめるが、やはりそこにはあの首飾りはなかった。
 もしも男が持っているなら、怪我が治ったときに渡してくれているはずだ。
 つけていろと、外すなと、言ったのは男の方なのだから。
 となれば、考えられることは一つしかなかった。

 男を庇って斬られたあの時、首飾りをあそこで落としたのだ。

「――」
 今の今まですっかり忘れていたくせに、気づいた途端焦燥が押し寄せる。
 探しに行かなくては。
 あれは、無くしていいものではない。
 男がくれたものなのだから。
 女は書き置きをエレが見つけやすいところに置いて、家を出た。
 だが、はたとそこで気づく。

 自分は、何処へ向かえば、あの場所へたどり着けるのか――?

 あの屋敷を出てから西に進んだことだけは辛うじて憶えている。
 だが、そのまま西に進み続けたのか、途中で進路を変えたのか、女にはわからない。
 男に聞くわけにはいかなかった。
 そんなものは捨て置けと言われるだろう。
 また買ってやるとも。
 だが、それでは駄目なのだ。
 男が手ずから首にかけてくれた、あの首飾りでなければ。
 途方にくれて、女は立ち竦む。
 そこへ、キリが空の篭を持ってやってくる。
「リュシア、そんなとこで何つったってんだよ?」
 キリだ。
 女は溺れた者が縋るように、キリの肩に手をかけた。
「キリ、あんたにしか頼めないの。教えて、あたしが斬られた場所は、ここから遠いの? どっちの方角なの?」
「はあ? いきなり何だよ? こっから東だよ。山越えと迂回路の二つがある。馬車なら迂回路で二時間半だけど、馬なら山を越えられるから日が高いなら二時間だな。俺一人なら一時間半で行けるけど」
「お願いがあるの。あたしが斬られたあの場所へ連れて行って」
「ちょ、いきなりどうしたんだよ。統領が帰ってからにしろよ。今日は用事で外に出てる。お前が頼めば何でもきいてくれるさ」
 だが、女は答えなかった。
 首飾りのことをキリに話せば男にも伝わるだろう。
 そうなったら行かせてもらえないに決まっている。
 それに、どの面下げて男に頼めると言うのだ。
 会いたいけれど、会えるわけがない。
 あんな風に拒んでおいて。
 あんなことを言わせておいて。
「なら、一人で行くわ」
「どうやって!?」
「歩いて」
 言い捨てると、女は歩き出す。
 東に向かえば、日が落ちる前にはたどり着くはずだ。
 男が村にいないのなら、なおさら好都合だ。
 足早に進んでいると、キリがいつにない慌てた様子で追いかけてくる。
「リュシア、待てよ!! マジで言ってんのかよ。わかったよ、連れて行くから待ってろ!! 馬をとってくる!! 山を越えるんだ、お前の足なら、歩いてったら夜中までかかった上に戻ってこれなくなんだろ!?」


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