暁を追いかける月

6 襲撃


 その日の日暮れ前に帰ってきた男達の様子は、どこかおかしかった。
 ひどく張りつめた様子で、食事時のいつもの会話もほとんどなかった。
 食事が終わると、すぐにみんなが部屋へと引き払う。
 けれど、何人かが屋敷の外へ出て行くのがわかった。


 部屋に入ると、男が女に告げる。
「あと一週間で、ここを引き払う。少しずつ準備しておけ」
「わかったわ」
 それだけなら、女も別段何とも思わなかった。
 だが、さらに男は続ける。
「昼間は屋敷から離れるな。特に、門より外に一人で出るな。必ずキリと一緒に動け」
 さすがに、女もおかしいと気づく。
 帰ってからの様子といい、今といい、普段の男らしくない。
「何かあったの?」
 声音に、不安が滲んでいたのか、男はじっと女を見つめた。
 頬に手を当て、その瞳を見据える。
「何もない。ただ、用心だ。最近ここも物騒になったから、俺がいない間が心配なだけだ」
「――嘘よ。何か隠してる。あたしに言う気がないだけよ」
「――」
 女は男の手を振り払い、背を向ける。
 だが、男はそのまま後ろから女を抱きすくめる。
「放して――」
「少しの間でいい。大人しくしてろ」
 耳元で乞われて、それ以上抗えない。
 もとより大きな男だ。
 抗ったとて、男にしてみれば抵抗にすらならないだろう。
 優しく抱きしめられて、泣きたくなる。
 余計なことを言って、自分に無用の心配をかけまいとする男の気遣いはわかる。
 けれど、そんな風に守られても、心苦しくなるだけだ。
 やめてほしい。
 全てを預けてしまいたくなるから。
 許されもしないのに、受け入れてしまいたくなるから。
 どこまでも自分を守ろうとする優しい男を、女は身を強ばらせたまま頑なに拒み続けた。




 男に言われた通り、次の日から少しずつ女は屋敷を片づけ始めた。
 特に、厨房は細々したものが増えたため、いつもよりいる時間が多くなった。
 この一週間で、貯蔵室の食材をできるだけうまく使ってしまわなければならない。
 先を見据えて料理をしなければ捨てていくことになってしまう。
 それだけは避けたかった。
 男達の大事な稼ぎで手に入れてきたものだ。
 一つたりとも無駄にはできないし、したくない。
 傷みやすいものと日持ちするものを確認して、女は一週間の献立を決めていった。


 二日後の夜中、窓が割られる大きな音で、女は目を覚ました。
 男はすでに扉を開けて外へと向かっている。
 慌てて女も服に着替えて玄関へ向かう。
 屋敷の中は静まりかえっていた。
 自分の裸足の足音しか聞こえない。
 自分のように部屋を飛び出してくる音もしない。
 玄関の大広間までくると、マルグとイオがそこにいた。
 扉が開け放たれて、男が立っていた。
 近づくと、屋敷に向かって走ってくるキリが見えた。
「統領、裏の窓だ。隙をつかれた。東に逃げた」
「馬を!」
「準備してある。レノが連れてくる」
 すぐに蹄の音がして、レノが馬に乗ったまま、男の馬を引いてきた。
 その後ろにはドガと、馬の扱いが上手く、いつも男の仕事についていくセオとテト、カーラフがついてきていた。
 男はひらりと馬に跨ると、キリに向かって言い放つ。
「キリ、リュシアの傍にいろ。誰も近づかせるな」
「わかった」
 そのまま、門を出て東へ向かった。
「キリ、何があったの?」
「何でもない。裏の窓に石を投げ込まれたんだ。ちょっと仕事でもめごとがあったらしい。逆恨みらしいから、何するかわかんないだろ? 念のためみんなと見回ってたんだ」
「見回ってって――そんな、危ないこと! 駄目よ!! 何かあったらどうするの!!」
 その言葉に、キリは呆れたように女を見返す。
「リュシア、俺、もう十三だ。それに、男なんだぜ。剣だって使えるし、馬なら統領にだって負けない自信がある。守ってもらわなきゃいけないガキじゃねえんだ」
「あんたはまだ子どもよ!」
「俺はリュマとは違う。もしリュマだって生きてここにいたらもう十歳だろ。そんなら、お前に守られるより、守るほうを選ぶはずだ。どんなに小さくたって、男ってのは、そういうもんだ。女は黙って守られてろ」
 強い言葉に、女はそれ以上の言葉をなくす。
 屋敷に残っていたイオとマルグが女を宥めるように続ける。
「姐さん、キリの言う通りだ。俺達にまかせて、姐さんは大人しくここにいてくれ」
「姐さんに何かあったら、俺達が統領にぶっ殺されます。後生だから。キリはこう見えたって強いんで。俺達がずっと仕込んできたから、そんじょそこらの子どもとはわけが違う。だから統領だって、姐さんにつけたんです」
「――」
 女はそれ以上何も言わず、黙って椅子に座り込んだ。
 キリの言葉が、胸に刺さった。
 十歳のリュマを、女は知らなかった。
 二年の年季奉公で皇宮にあがって以来、リュマに会うことはなかったのだ。
 勤め先の姫の嫉妬めいた悪意で、休暇も取らせてもらえず、屋敷の外に出ることさえできなかったからだ。

 涙を堪えて自分を見送った、小さくて頼りなげな弟の姿――あれが、最後だった。

 自分の中で、リュマは永遠に八歳のままなのだ。
 愛くるしく、大人しい、本を読んでくれとせがむ――そんな我が儘しか言わなかった小さなリュマのまま、もう、決して大人にはなれない。

 もしも生きて、ここにいたら――キリのような子に、なっていたのだろうか。

 だが、どんなに考えても、十歳のリュマを思い浮かべることはできなかった。



 男達が戻ってきたのは、それから二時間もした頃だった。
 襲撃者を捕まえることはできなかったらしい。
 割られた窓は、外の見回りをしていた男衆達が板を打ち付けて塞いでいた。
 見回りを強化したため、襲撃はなくなった。
 だが、夜ごと屋敷の周りをうろつく者達はいたらしい。
 蹄の後がいたるところに残されていたと、キリが教えてくれた。
 女は男に言われたとおり、外に出るときはいつも、キリとともにいた。
 昼間でも、男は半分の男衆達を屋敷に残し、警戒を怠らなかった。
 そうして、男の言った一週間後となった。


 その日は最後の交渉に臨むらしい。
 それが終われば、ここにいる必要はなくなる。
 荷物の整理に、五人の男衆を残して、男は最後の仕事へと向かった。
 日暮れ前には帰れると聞いていたので、昼食の片づけの後、鶏肉と野菜を挟んだパンと飲み物をすぐに準備した。
 夕食を食べ終わったらすぐに出発だ。
 三月以上暮らしていたせいで、屋敷には愛着があった。
 厨房で料理を作ることももうないのだと思い、最後の片づけの手も自然と力が入る。
 丁寧に拭き掃除をして、ぴかぴかに磨き上げる。
 残った食材で保つものは荷馬車に積み終えてある。
 各部屋の掃除も終えて、使わぬ家具に布をかけると、そこはもう慣れ親しんだ屋敷ではない気がした。
 どこかよそよそしい、薄ら寒い空間にさえ思える。
 ここも、決して自分の居場所ではないのだと、改めて思う。
 ここを離れて、次に何処へ行くのか、女は聞いていない。
 しばらくまた移動続きとなるのか、それともまた、このような家を借りて、商売をするのか。
「――」
 聞けるはずもない。
 ただ流されるまま、ついていくだけだ。
 そうやって、お荷物のように生きていくのだ。
「リュシア、統領達、帰ってきたぜ」
 キリの声がかかる。
「今行くわ」
「飯もう、出しといたぜ」
「いいわ。ありがとう」
 キリは相変わらずだ。
 言いたいことは言うし、怒るときは怒る。
 冗談も言うし、いつも傍にいてくれる。

 だが、どこか一歩退いている。

 そんな気がした。
 そうさせたのは自分だが、寂しかった。
 男を拒んだ時のように。

 ふと思う。

 男も、今、こんな気持ちでいるのだろうか。



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