月の大陸
罠を仕掛けましょう。
翌朝早朝に目が覚めたミランダは弟子たちから昨日の事態を聞いて肩を落とした

「本当にごめんなさい。迷惑をかけたわね。」

「いえ、お師匠様。そんな事よりなにか悩みごと?
お師匠様の精神がすり減ってるよ。今はだいぶ回復したけど…
シコラには話せないの?」

ミランダの腰に両手を回し甘えるように見上げるシコラックスを
思わず抱きしめ返した

「…ありがとう。」

それ以外ミランダは言う事が出来なかった
何をどう話せば信じてもらえるのか
信じてもらえてところでどうすればいいのか

なにより
今あるこの信頼を失うのが怖かった

「ミランダ・オ―グ」でなければこんな風に誰も接してはくれなくなる
見知らぬ異世界
孤独がなによりも恐怖に感じた


「さ、行きましょう。
ステファーノ様たちをお待たせしちゃ悪いわ。」


気持ちを切り替えて明るい笑顔を見せる彼女に
シコラックスやプロスぺローはそれ以上何も言えなかった

もっと頼ってほしい
なんでも相談してほしい
そんな思いを抱きながら二人はミランダの背中を見つめていた


ステファーノの執務室にはすでに昨日と同じ顔触れがそろっていた

「おはようございます。
お待たせして申し訳ありません。」

礼を取るミランダをステファーノは注意深く観察した

特に昨日と変わった様子を感じられない
衣装は藍色のローブとシンプルになっていたがそれでも顔色などは良く
今日は結われる事なく背中に流された銀糸も美しかった

「おはよう。
体調を崩したと聞いたがもういいのか?」


「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません。
自己管理の怠慢です。
二度とこのような事が無いように気を付けます。」

「無理をさせるためにここに連れてきたわけじゃない。
体は大切に、何かあればすぐに言うのだぞ。」

「ありがとうございます。」

微笑み頷く彼女の姿を見て誰もが安堵の表情を浮かべた中
ただ一人
ステファーノの斜め後ろに控えたセリクシニは表情を曇らせた
彼は昨日ミランダの口から聞いた事をステファーノに報告しなかった
それは20年弱仕えてきた中で初めてのことだった

疑問は山の様にある…しかし今は目の前の事件解決が先だ

そう思いいつもと変わらぬ表情を貼りつけた

昨日とは別の王都の地図と透明なガラスの大きな水瓶が
テーブルの上に用意された
水瓶には水が張られその上にシコラックスが地図を浮かせる

「では、始めます。
申し訳ありませんがみなさん、シコラとプロスの後ろにお下がりください。」

指示に従いステファーノ達が下がるのを確認して
ミランダはゆっくり水瓶に両手をかざす
ふわり…とミランダのローブの裾が揺れる

そして頭の中で王都の路地といる路地全てを光の如く駆け巡ぐった
それに比例して地図に書かれていた路地が淡い光を放つ

本来ならば魔法は発動するときに呪を唱える必要がある
言霊にすることで式を構成し意識を向けることで発動する

しかし
ミランダとエアリエルは呪を用いずとも頭に思い描くだけで魔法を発動できた
これは歴代の魔女たちにも無かった二人だけの特異能力である

ミランダの精神が研ぎ澄まされていく
静かだった水瓶の水面に波紋が広がり地図を揺らし
水を吸って重くなった地図はゆっくりと水瓶の底へ沈んでいった

魔法使い以外の者がその光景を固唾をのんで見守っていた

地図が完全に沈んだところで水瓶に結界を施し
ミランダは水の精霊を心の中で呼んだ
「水の精霊よ…我、汝ら王と契約を結びし者。我が声に答えよ。」

するとどこからともなく金魚が宙を泳いでミランダの前に漂う
その金魚は透ける様に青く輝いている

「この水瓶の結界となり我以外から守れ。」

ミランダの言葉に金魚はその場で円を書くように泳ぐと
そのまま水瓶の中に入り水になると水瓶の中が青く染まった

精霊の姿は限られたものしか見えない
その為、その場にいた魔法使い以外は精霊の姿を確認することなく
水瓶の水が青く変色したのを見つめていた

全ての作業を終えたミランダは水瓶から離れ終了を告げると
近くの椅子に腰かけた

うわぁ…自分で設定した事だけど魔力使いすぎるとさすがにきついな…
ミランダの体に慣れてないのもあるが
初めて使う結界魔法は思ったよりも繊細で心身ともに疲労感があった

「これで結界は張られているのか?」

ステファーノが水瓶を興味深そうに見る

「はい。王都全てに結界を張りました。魔獣が出現すればすぐに感知できます。
念の為に、水瓶にも結界を張りました。
なので不用意に近づかないように気を付けてください。」

「王都全てに結界とは…しかもこの短時間で…さすがだな。」

「ありがとうございます。」

「ミランダ殿、よろしければどうぞ。」

椅子に座り体力の回復を図っていたミランダの前に
細工が美しいティーカップが置かれた
中では紅茶が芳香を漂わせている

「セリク様にそのような事をしていただいて…」

「気にしないでください。
我々こそ貴女の様な女性に全てを任せる形になってしまい申し訳ありません。
できる事があれば言ってください。
といっても、私の微力な魔力ではほぼ役に立たないので
こうして紅茶をお入れするくらいですが。」

慌ててセリクシニを見上げたミランダに悪戯な笑みが降ってきた
その笑みにつられてミランダの口角が持ち上がる

「もったいないお言葉です。
では遠慮なくいただきます。」

一口飲んだミランダはゆっくり肩の力が抜けて行くのがわかって
小さく息をこぼした

「美味しい…。なんだか落ち着きました。ありがとうございます。」

ミランダの言葉に嬉しそうに微笑んだセリクシニは恭しく礼を取った

そんな二人のやり取りを見ていたステファーノと
カイルとロザリンドは目を丸くする

それもそのはず
セリクシニは城内では微笑みの貴公子と呼ばれていた
それはセリクシニが誰に対しても常に笑みを絶やさず
優しく、真面目に接しているからである
しかし、彼の近くで働くものたちはその笑顔がまるで鉄仮面の様に感じていた
彼は微笑み以外の感情表現をしないのだ

怒りをあらわにする事はめったにないが
いつもの微笑みのまま彼を取り巻く空間だけ凍りつく
気に入らない者には容赦はないし大臣たちは腹黒タヌキを笑顔でいなす

そんなセリクシニがミランダの傍にいるときだけ表情豊かになっているのを
二人の兵士…そして彼の従兄弟で君主は感じていた
…本人はまだはっきりとは認識していないが


「結界が張れたなら、後は魔獣の出現を待つのみ。
カイル、兵はどうだ?」

「は。私の直属の部隊を待機させております。
魔女様の合図でいつでも動けます。」

「ポーシャは何と?」

「団長は今回の事件は私と殿下に一任する。
兵を遣いたいなら好きなだけ使用して良い。とのことです。」

「ふん。相変わらず人任せな爺さんだ。

…では準備は万全に備え、いつでも現場に向かえるように皆心得よ。」

「「御意。」」

罠は仕掛けた
後は獲物がかかるのを待つばかり…
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