more than words

 お前、歌姫のつばめやってるんだって、と開口一番いきなり友人、勝弘に詰め寄られたのがそれから一ヵ月後だった。
「そうそう。それが妙にお似合いでさ。恭って実はつばめタイプなんだ」
 僕が口を開く間もなく、店長が割ってはいる。それ位知ってるけどさ、とまた勝弘が身も蓋もないことを言う。それで僕は口を挟むのを諦めて、彼のために水割りを作ってやった。
「でも、歌姫、って碌な噂聞かないんだけど。知ってるのか? だって、あれだろ? あの人も誰かの愛人だろ?」
 勝弘は言い難そうに、声を潜めた。それでもぼそぼそと続ける。それでも何人も若い男をとっかえひっかえして、それで彼女はいつまでも少女のように若々しいのだと。まるで妖怪譚だ。
「知ってるけど」
 勿論、僕はかなり世情に疎いし、そんなことになんて興味なかったけど。それでも成り行きで彼女とユニット組むようになって、無理やりねじ込むように、そんな噂が耳に入ってくる。
「でも、とっかえひっかえって言えば、恭も人のこと言えないからな」
 それでも店長はさらっとそんなことを言ってくるから、僕は睨つけていいのか、笑えばいいのか判らなくて、結局所在なげに煙草をくわえる。彼が歌姫をかばうのも当然で、そもそも彼女に僕を推したのは彼なのだ。
 ぼんやりとステージを見ると、先月お払い箱を食らったバンドが演奏していた。見知らぬ若いベーシストが、陶酔したように身体を揺らしているがその分リズムがずれているのに気づいていない。ボーカルと目が合うと、微かに苦笑してみせた。俺はお前と演奏する方がいいんだけどさ、と言い難そうに言ったその時の表情で。
 問題のキーボードの女は素知らぬ顔で笑っている。彼女はドラムの男とつき合っているのだが、そういうことに疎い僕がそれを知ったのは彼女を寝取られたと彼に責められた後だった。キーボードの女はしくしくと泣くし、ドラムの男は怒鳴り散らすし、ボーカルの彼としては誰に非があったとしても取り合えずしがないサポートメンバーである僕を切ることで決着をつけるしかなかった。誘ってきたのは彼女の方だと、言い張ったところで仕方がないし。
「……女とトラブル起こして、その度に引っ越すのはいいけどさ、連絡くらいしろよな」
 僕の視線に気づいたのだろう。勝弘がぼそっと呟いた。バイトも住居も一ところに落ち着いたことがないのは本当だけど、別に苦労してその度に僕の行方を探すこともないのに、と僕は思ったけどやっぱり黙って曖昧に笑った。言ったとしてもこいつはやっぱりへらへらと笑っているのだろうということが判っていたから。
「取り合えず、ここには来てるって判ったから、ちょっと安心した」
 勝則はそう言って人のよさそうな顔で笑って、立ち上がった。すっかりサラリーマンが板についているが、その昔は今ステージにいる男のようにギターを振り回していたのに。もうその面影もない。薄汚いライブハウスには似合わないその姿が、僕には少し眩しかった。
 来週末には自分の家に来るように、と煩いぐらい念を押して、彼はそそくさと三人の娘と妻の待つ家に帰っていった。
「羨ましいか?」
 ぼんやりとグラスを磨いていたら、まるで見透かしたように店長が聞いてきた。意地悪な言い方。この人はいつもそうだ。彼は僕を知っている。生まれたときから、物凄く不幸だったときを経て、今に至るまで、ずっと知ってる。だから、僕が何も言えずに黙っていたら、彼は笑って僕の頭を叩いた。
「今日はもう帰っていいよ。彼女、待ってるんだろう?」
「別に、待ってないと思うけど」
 ぼそっと、ふて腐れた高校生のようなことを言ってしまって、それでも僕は手にしていたグラスを置いた。ステージはもう終わりかけている。どうせ、他にバイトはいるし、僕の仕事なんてもうない。
「恭には勝則の真似なんてできないさ」
 帰りかけた僕の背中に追い打ちのような言葉を投げかけて、店長は振り向いた僕をにやにやした顔で見返した。何か言い返そうとしたけど、結局何も言えず、僕はそのまま店を出た。
 誰かに同じようなことを言われたな、と思って、しばらく考えてそれがようやく誰だったか思い出した。小夜子。どうしてだろう。最近、妙に思い出す。降り続く雨の所為だろうか。
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