お医者様に好かれるだなんて、光栄なことだと思ってた
「……います」

 どういう質問か分からなかったので、とりあえずそれだけに留める。

「そりゃいないと4人は大変だよね」

 その返答で合っていたのだろうか、本間は特に質問をしてこない。

 良いタイミングで料理が運ばれてくる。

「本間様、本日のデザートは特別にムースをご用意させていただきました」

 さきほどのボーイが、料理を運ぶ女性の後ろで説明をし、こちらに微笑んだ。

「お、チョコムース。女性に嬉しいサービスだね」

 真紀は少し戸惑いながらも、軽く頭を下げる。

「この前はシャーベットだったかな。暑い日だったし」

「本間様にはいつもお越しいただいておりますので、サービスも特別にさせていただいております」

「ここの天ぷらよりうまい天ぷらないからね。それだけのこと」

 本間は機嫌よく笑いながら、既に目は天ぷらにいっている。それに気づいた全員が早々に退散し、2人はそれぞれ箸に手をつけた。

 なるほど、そういうだけあって、他にはない美味しさがある気がする。

 あまり天ぷらを重視していない真紀にとって、味は頷ける程度だったが、それでも本間が美味しいというのなら、美味しいと感じられた。

 本間は早々と完食し、真紀を待ちながら、映画の時間を再度確認し始めた。料理が早く出てきたおかげで、今から急いで行けば映画に間に合う。

「今日はやめとこう、映画。吉住さんまだ食べてるし」

 真紀はぎょっとして本間を見た。

 そんな、午後の診察を休診するほど映画が見たかったのに、私のせいで……。

「いえっ、大丈夫です」

「けど、時間が4時すぎるから。チケットはそのままあげるから、旦那さんとでも行けばいいし」

 あ、やっぱり……今日は深い意味はないんだ。

 突然、寂しくなる。

「どうかした?」

 自分では一瞬箸を止めたことに気付かなかったが、本間はそこをちゃんと見抜いてくれた。

「えっ、いえ……」

「今日行くつもりにしてたのは僕も同じだけど、時間がないから仕方ないよ。また、今度にしよう」

 本間はにっこりと笑ってくれる。

「僕のチケットもあげるから、はい」

 今日、2人で行くはずだったチケットを夫に、とテーブルに出してくれる。

 だが、手は箸から離れず、そのチケットを見たままだった。

「いつも吉住さんには良くしてもらってるから、今日はお礼に食事に誘えて良かったな」
 そうだよね……。それ程度だよね。

 本間は腕時計を見ながら続ける。

「今日は随分時間があるな……本屋寄って、久しぶりに子供とキャッチボールでもするか。あ、でも今日塾だ」

 医者の子供なら、きっと勉強もよくできるんだろう。

 それに引き替え、うちの子はどうだろう……。

「先生」

 真紀は、本間をまっすぐ見た。

「はい」

 相手も見返してくれる。いつもの顔だ。というか、いつも、誰にでもしている顔だ。

「その……もし、時間があるのなら、ドライブでもどうですか?」

 目は逸らしていたが、よくそんな言葉が自分の口から出た物だと思う。

「ドライブかぁ」

 本間は苦笑しながら相槌を打った。

 少し、困ったのかもしれない。

「うーん、いいけど、どこ行く? どこか行きたいとこ、あるの?」

 そう言われると、困ってしまう。

 「どこでもいい」。そう言うわけにはいかない気がした。

「すみません、ありません……」

 顔を上げられなかった。なんて顔をしているんだろう、私。

「まあまた、今度にしよう。ごめんね、今日は本屋に寄るから」

 なんだか、不倫を断られたような、恥ずかしさと悔しさがこみあげてくる。

「すみません、私の方こそ……」

 社交辞令くらいなら言い返せたが、それ以上は何も言えそうにない。

「ドライブかぁ……。ドライブね……、あ、それなら今度、映画行った方がよくない?」

 思わぬ誘いに、顔を上げた。

「……いやー……」

 目が合った瞬間、逸らされる。

「けどまあ、そのチケットは一応あげとくよ。今度っていつになるか分からないし」

 それが、普通の流れだ。そうやすやすと、不倫ばかりしている人がこの世にいるはずがない。

「ありがとうございます」

 真紀はようやくチケットを受け取った。

 夫のために、と本間がくれた映画のチケットを。

 真紀が本間と行きたいと、願った映画のチケットを。

 ただバックの中に収め、夫以外の人と行こうと心に決めた。

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