「真紀さん」
 
夫である吉住は、大理石のダイニングテーブルで四男を抱きながら食事をとりつつ、妻を呼んだ。

「なにー?」

 自分で食事ができる長男次男の食の進み具合を見ながら、三男の口に白米をスプーンで運ぶその手つきは慣れている母親そのものだ。

「……この前映画行くって言って結局行かなかったって行ってたでしょ。あれ、今度行こうか?」

「今度っていつよ」

 妻は笑いながら返してくる。

「病院は休めそうにない?」

「修ちゃんの休みいつ? それに合わせてとれるよ。ちょっと先になるけど」

「明日」

 思い切って明日が休みになったことを伝える。だが妻は

「無理」

と即答した。

「急には無理よ。ただでさえ熱で急に休むんだから。明日は1人でゆっくりしてればいいじゃない。一日中ごろごろしてるのもいいわよ、たまには」

 仕事をし始めたせいで変わったな。

 そう思ってしまったせいで、自分の機嫌が突然悪くなったことを自覚し、深呼吸する。

「……病院、楽しい?」

 遠回しに聞いたつもりだが、

「それ何回目? いつも聞くわよね」

 妻は無表情で子供を見つめた。

「……いや、楽しいのかなと思って」

「紹介してくれた婦長さんに何か聞いたりしないの? あれから会わないの?」

 前掛けを付けた三男は思い切りお茶をこぼした。だが妻は構わず用意していた布巾でざっと拭き、食べさせ続ける。

「会ったよ。店にたまに来る。……けど売店は用ないから行かないって」

「よね。看護婦さんってほとんど来ないよ。婦長さんも全然会ってない」

 三男の口の中がもぐもぐ動いている隙を見て、長男の皿に野菜が残っていることを認識させ、次男のお茶を注ぎ足す。

「病院関係の人は売店使っちゃダメとかあるのかな」

「さあ……ないんじゃない? 別に。看護婦さんも若い人が多いからコンビニで買ってくるのよ。売店は品数少ないし」

 三男がふざけてスプーンを落とすと、「あ゛―」と妻は溜息を吐きながらすぐに新しい物を取りに立ち上がる。

「だよね……ごちそう様」

 妻が一度もこちらを向いてくれないことに腹が立って仕方なかったので、あえてまだ半分以上残して食事を終わらせた。

「まだ残ってるよ」

 皿の中だけを見て言いながら、既に新しいスプーンでお茶碗の米をすくい、三男に食べさせる。

「真紀さん全然こっち見てくれないから食べる気しないよ」

 予想通り一度目が合う。だが妻はすぐに逸らした。

「3人食べさせてるのよ? 仕方ないじゃない。大人は自分で食べて」

 さらりと言い返される。ごめんね、の一言も、笑うこともない。

「仕事、疲れる?」

 ずっと言わないでおこうと思っていた。

 そう心で積き止めていたのに、今日は腹が立って仕方なかったので口にした。

「まあね、足だるいし」

 そこで妻は笑った。笑ったせいで「疲れるなら辞めたら」と言いそびれた。

「けど、楽しいかな。今日ジュースの段ボールで指切ったんだけどね。たまたま来た先生がバンドエイド取って来てくれてね、さすが病院って思ったの」

「どの指?」

 どの指にもバンドエイドは巻かれていない。

「ここ」

 妻は左手の小指を立てて見せた。

「ご飯作るのに邪魔だからとったの。けどまだ水はしみる」

「あそう……」

 まだ腹は五分目で充分食べられるが、妻は食べるように促してこない。

「……」

 吉住は大きく吐きたい溜息を我慢して、さっと席を立った。その我慢がせめてもの、相手への気遣いだと、伝わるはずがないことは分かっていたが。

 「食べないの?」そう聞いてくれるものと信じて、リビングのソファでずっと待つ。

「もう、野菜全部食べないとデザートあげないって言ってるじゃない!」

 キッチンから妻の苛立った声が聞こえた。

 声色で分かる。子供に苛立っているのではなく、食事を残した夫に苛立っているのが。

 仕事になんか行かせるんじゃなかった。

 そんな思いがずっと頭の中を巡って行く。

 何度も、何度も。

 仕事のせいにして、手抜き料理を並べ、こちらを見ようともしない妻が許せない。

 テーブルの端で伝い歩きをしている四男がつまづきそうになり、慌てて両手を差し伸べた。

 こんなことなら、五人目を早く作っておくべきだった……。柔らかい肢体の感触を確かめながら、後悔する。

 もう二週間近く、セックスもしていない。最後にした夜は途中、中で果てると宣言すると、泣いたっけか……。

 家で俺の子供をみることの、何が気に入らない?

 どうしてそこまでして、外に出たがる?

 深く考えれば考えるほど、頭が痛くなる。

 タバコが吸いたい。

 溜息が遠くに飛びそうな気がして、天井を仰いだ。リビングは吹き抜けになっていて、50万円もした大きなシャンデリアがこれでもかと存在感を現している。

 これが、想像通りの良い家庭の象徴だったのに。

 俺の夢の、家族だったはずなのに。

 

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