恋衣 ~呉服屋さんに恋して~
番外編:夏の花火


 夏は浴衣の季節。日本に和服があって良かったと思う季節のひとつだ。
 和服には洋服とは違う、内から滲み出るような淡い色香が漂うと思う。
 お正月も着物を着る機会の一つだけど、浴衣はそれよりもっと手軽に着られるので、多くの人が楽しむことができる。なので、十夜さんが働いている益田呉服店は夏も大忙しだ。

「今年は大型ショッピングモールに特別出店することになりました」

 近頃、忙しくてなかなか会えずにいた十夜さんとの久々のデート。今日は翠さんが働いている御茶屋さんではなく、駅前に先月新しくできた和風カフェに来ていた。
 十夜さんは午前中仕事をしていたらしく、夏らしく涼やかな紺色の浴衣を着ている。

「ショッピングモール……ですか?」

 私はあんみつを掬っていたスプーンを器へ戻した。
 ここのお勧めはわらび餅らしく、十夜さんはわらび餅と御抹茶のセットを頼んでいたけれど、私は冷たいものが食べたくて、アイスクリームが乗ったあんみつを注文した。
 オープンしたばかりのカフェは混んでいて、二十分ほど並んだ。その間にも和風カフェにぴったりな装いをした十夜さんは、お客さんや店員からチラチラと熱い視線を送られていた。
 それに気付いているのかいないのか。私と会話をする十夜さんが時折見せる笑顔は、七月の陽射しに汗ばんだ肌と相まって、妖艶さを孕んでいた。
 十夜さんの笑顔に、周りの女性が小さく黄色い悲鳴を上げるのがわかり、幾度となく心の中で妬いたけれど、今はそれどころではない。
 ショッピングモールという、すっかり人が少なくなってしまった商店街とはかけ離れた所に、益田呉服店が出店しようとしているのだ。

「隣の市に大きなショッピングモールができたでしょう。あそこです」
「そこに、益田呉服店がお店を出すんですか?」
「お店を出すと言っても、来週から花火大会までの一カ月間で、二階の小さな特設会場です。夏の間だけ、水着のコーナーが出来ていたりするでしょう。あんな感じのようです」

 十夜さんの口から“水着”という言葉が出て、少しだけ違和感があった。
(……なんだか似合いません)
 そう言ってしまうのは申し訳ないので絶対に言わないけれど、未だにデートの時に十夜さんが洋服を着てくることくらい違和感があった。
 しかし、もちろん洋服が似合わないわけではない。
 むしろ、端正な顔立ちのうえ、スタイルもいいので何を着ても似合う。服装もシックな色のものが多くてかっこいい。どこか大人の余裕を感じ、それが余計に私を困らせた。
 十夜さんの違う一面を見せつけられると、どうしていいかわからず落ち着かないのだ。
 今日のように、和服を着てくれている方が平常心で向き合える。

「でもどうして、そんなお話になったんですか? 去年は特に何もありませんでしたよね」

 去年、私は益田呉服店で浴衣を作ってもらった。その浴衣で夏祭りへ行き、十夜さんと結ばれたが……今年はどうしてまた、そんな話になったのだろうか。

「ショッピングモール内にも呉服店はあるのですが、どうやらそこの主人が倒れてしまって。しかし祭りの時期だというのに、ショッピングモール内に浴衣を売る店がないのは寂しい……と、施設側が代わりに出店してくれる呉服店を探していたらしいのです。そこで、倒れた主人と知り合いであった父が、代わりに益田呉服店が出店すると名乗りを上げたんです。今は洋服を売っているお店でも、浴衣を置いていたりするというのに……」

 十夜さんは眉間にしわを寄せて御抹茶をすすった。気が進まないのかもしれない。

「十夜さんは賛成ではないんですか?」
「反対、というわけではないですが。少し気が進みません」
「どうしてですか。益田呉服店を皆に知ってもらえるチャンスですよ」

 十夜さんの様子を窺いながら尋ねると、十夜さんは瞳を小さく見開いた。

「凛子さんって、実は商売魂をお持ちなんですね」
「か、からかわないでください」
「いえいえ、褒めているんです。見習わなくては」

 どうやら私が前向きな発言をしたことに驚いたようだった。十夜さんはクスクスと笑いながら、柔らかそうなわらび餅を一口頬張った。

「僕なんて、今ある益田呉服店で十分だと思っていたので」
「……それは、そうだと思いますが」

 私も今ある益田呉服店に不満があるわけではない。
 寂れた商店街だけど、益田呉服店にはお客さんが集まるし、十夜さんの効果なのか若いお客さんもいる。だから、この先も安泰だとは思う。
(それでも、お客さんが増えるのはいいと思ったのですが……)
 私は自分の考えが浅はかだったのかと、言葉に詰まりながらあんみつを口へ運んだ。ほろりと舌の上で溶けていくアイスクリームが少し苦く感じる。

「なんて、まぁ……面倒というのが本音ですけどね。たまに百貨店の催しで出店しますが、準備も片付けも大変で」
「意外です。十夜さんの口から面倒という言葉が出るなんて」
「この年になって新しいことをするには、かなりの力が必要になりますから」
「……まだお若いのに」

 十夜さんと目が合うと、どちらからともなくクスクスと笑いだした。
 たまに年の話をする十夜さんだけど、まだ三十三歳。二十五歳の私とさほど変わらない。

「ショッピングモールには父ではなく僕が行きます。凛子さん、よかったら顔を出してくださいね」
「はい、もちろんです」

 ショッピングモールに出店すると聞いた時から、電車とバスを乗り継いで行けば施設に行ける……と頭の中で順路を描いていた。
 私が大きく頷くと、十夜さんはホッとしたように息を吐いた。

「ただ、小さなスペースとはいえ一人での店番になるので、てんてこ舞いで少々見苦しい姿かもしれませんが」

 十夜さんは口の端を歪めて苦笑する。
 一人での店番。益田呉服店でも、お父様の代わりに一人で店番をすることが多い十夜さんだけど、ショッピングモールだともっと多くの人が来るんじゃないかと思う。たとえ見ていくだけのお客さんだとしても、愛想良くしていないといけないし。

「お手伝いして下さる人は、いらっしゃらないんですか?」

 ここで翠さんの名前が出たら嫌だけど、十夜さんの身体が心配になった。

「父は商店街の店番がありますし、母はそちらと僕の方を往来することになると思います」

 ご両親の名前以外は出てこなかった。翠さんは今回手伝わないらしい。
 ホッと小さく息を吐く。だけど、それもそうかもしれない。翠さんは今、自分の夢のために御茶屋さんでバイトをしているのだから。

「まあ……出来ないことはないと思います。見るだけの人が多いでしょうし、着付けのスペースも狭いので、一人ずつしか接客できませんし」
「でも、お昼ご飯や休憩は……」
「昼食は母が来た時や、休憩中という立て札でも立てておきましょう。ほんの十分程度なら大丈夫かと」
「……」

 お昼休憩も十分しか取れないなんて。それが一カ月も続けば、身体には相当な負担になると思う。

「あのっ」

 十夜さんのことが心配になり、思わず口を開いてしまう。彼はどうしたのかと、穏やかな瞳を向けてきた。

「どうしました、凛子さん」
「よ、良かったら私に……お手伝いをさせて下さい」
「お手伝い、ですか」

 十夜さんは驚いて竹の楊枝で刺していたわらび餅を、お皿の上にぽとりと落とした。
 驚くのも無理はない。
 今まで、お店に遊びに行って十夜さんの接客している姿はよく見ていたけれど、手伝ったことは一度も無いのだ。

「き、着付けは以前十夜さんに習いましたので、恐らく大丈夫だと思います。寸法を測るのも、女性が測った方がお客さんも抵抗ないでしょうし。こ、細かい測り方はわからないので、教えていただけると助かります」
「凛子さん……」
「雑用だけでも、レジ係だけでもやりますよ。会計は仕事でもやっているので得意です。もちろん平日は仕事があるので、土日だけになってしまいますが……」

 十夜さんに断られるのが怖くてまくし立てるように喋った。彼はキョトンと目を丸くしたまま、固まってしまった。

「……ど、どうですか?」

 十夜さんの力になりたい。そう思って申し出たが、迷惑だっただろうか。
 あんみつの甘さが残った唇を噛みしめ、十夜さんをそっと覗き見る。

「凛子さん……僕は幸せ者ですね」
「わ……私も、幸せだからいいんです」
「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」

 十夜さんは優しく微笑んで、了承してくれた。

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