僕の冷たい言葉に対して、彼女は何も返してはこなかった。

 重なる互いの心音が嫌というほど全身に響き渡って、でも互いの胸の内はひとつだって読みとれない。



 彼女の細い体に緩くくっついてどれほどの時間が流れたか、真依子が静かに口を開いた。



「…兄は、あたしの全てだったのよ」



 たった、一言。

 真依子の息が首筋を撫でた。



 まだ少し鼻声の彼女の声は、悔しいけれど色っぽくて、そう感じてしまう自分にまた嫌気が差す。

 だから一切口を開かずに耳だけを傾けていると、真依子は続けるように言葉を並べた。



「兄のためなら、何だって出来たわ…。あたしを育ててくれた恩返しに、入院費だって死に物狂いで稼いだの。兄は何度もそんなことお前がする必要はないとあたしを叱ったけれど、父に頼んであたしの給料を兄の入院費にあてて貰っていたわ」



 また少し、声が揺れた。

 泣いている……のだろうか。



 馬鹿な僕がもう一度腕に弱い力を加えようとした途端、真依子は自ら僕の腕を解いた。

 僕も引き止めようとはせず素直に彼女を解放すると、真依子は一切こちらを見ずに目許に指先を滑らせながら立ちあがる。



「…いけないわ、そら。………帰って」



 真依子は僕に寂しげな背中を向け、リビングの奥にある一枚のドアの向こうに消えた。

 何がいけないのかと訊ねる暇もないまま、冷めたミルクティーを残してすやすやと眠る瑠海と共に僕は真依子の自宅をあとにした。



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