こんなに幸せな気分になったことなんて、今までにあっただろうか。

 扉の向こうから漏れ聞こえてくる店内の喧騒を火照った頬で受け止めながらそんなことを思う。

「ちょっと、呑み過ぎちゃったかな……」

 思考ははっきりしているつもりだけど、鏡に映る自分のまぶたのとろけ具合にまた、頬を緩めてしまう。

「っと、はやくお化粧直さなきゃ。まぁあの2人なら気が合って普通に会話してそうだけどね」

 ずっと仲の良い友人がいる。

 小学校の頃からの友人だ。

 辛い時も、楽しい時も、悲しい時も、どんなときもそばにいてくれた友人。

 この友人がいなければ、きっと私は色々なことを乗り越えることが出来なかっただろう。

 その人と、約束したことがある。

「お互いに、結婚するときはその人と3人で呑みにいこう」

 ほんの少し、違う景色になる。

 右側の視界が、形を変える。

 それを“新しい”とはいいたくない。

 なんだかそういってしまうのは二度と前の景色に出逢えなくなってしまうみたいで、友人との大切な日々が、私の歩む道から切り離されてしまうようで。

 だから私にとって“3人で呑みにいく”というのは“これからも繋がっていたい”という誓いなのだ。

「よし。バッチリ──」

 塗り直した口紅に、グロスを乗せたときだった。

「今日も気合十分だね。いや、それ以上、かな?」

 聞き慣れた、耳の後ろを優しく撫でるようなハスキーボイス。

「そりゃあ大事な日ですもの」

 そういって微笑み返した鏡越しに映った見慣れない表情に、綺麗に弧を描かせたはずの唇が歪みそうになる。

 ダメ。

 この人と、私は繋がっていたいの。

 だから同じ表情をしては、ダメ。

 大丈夫。

 きっとこの先もはたからみれば仲の良い友達でいられる。

「ねぇ、これからもずっと――」

 視界が、遮られた。

 けれどそれは見慣れた景色。

 私だけが、私たちだけが知る景色。

 そして聞き慣れた甘い沈黙が呼ぶ、軽い眩暈。

「幸せになってね……」

「……うん」

 ぼやける視界が、化粧室の外から漏れ聞こえる喧騒で拭われてはっきりとする頃――

「バカ……」

 誰よりも大切なその人は、姿を消した。

 せっかく整えた化粧がすべて落ちてしまうほど泣きじゃくる私を残して。

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