カノンとあいつ
めざめ




雨だ……。


───咄嗟にそう思わせた。






布団の四隅がどこへ行ったか知らないが、歪な格好をした身体が、二の腕を痺れさせている事と、その苦痛も手付かずに、現状を出来るだけ速やかに把握したいという欲求だけが、朦朧とした意識に抗おうとする。


それからもうひとつ、

………微かに雨の気配がする。






ベッドから起き上がってカーテンの隙間に見る濡れたベランダは、やはり左腕を放置したままの私の安い妄想に過ぎないのか、図体を持て余す苛立ちはとうに始まっているというのに、それでも苦痛は、まだだ…!と言ってくる。

仕方がない…。

未だ焦点の定まらない薄目を鬱陶しく閉じる。

ここから幽体が抜け、のそのそと歩き出すのを黙って見ているしかない。

ベランダに面したサッシを、思い切って10センチ程開けてみるのだ。




嫌な雨は、空を真っ黒にして、ぐずぐずと私を不快にするのだろうか。

水を含んだ風が足元を撫で、うっすらと差し込む光は 床の白い埃を、そこだけ浮かせて見せるに違いない。











───やる事は決まっている。




排泄の後洗面所に向かい、いずれは空腹を満たす…。

これは仕方のないことだ。

みんなこうやって生きている。


例えさっきまで居た世界が“此処”とどれ程掛け離れていたとしても、この辻褄の合わない不可解をぶら下げたまま、それが綺麗さっぱり消え失せるまで、今は唯、ひたすら動き回ることだ。

目覚める為には、みんなこうするのだ。






やおら寝返りを打つ。

褥瘡(じょくそう)になる程虐められた左肩に素早い血液がサッと行き渡る。

敷布の捩(よじ)れが二の腕に刻んだレプタイルを、ざらざらと掌に確かめる。



この場に及んでしまっては、夢の残滓(ざんし)は疎(おろ)か、ここにはもう、苦痛に晒された頭陀袋(ずたぶくろ)がドロリと横たわるばかりだ。



嗚呼…と鳴いて、ふぅ~と溜め息………。

ベッドから床に膝を投げ出し、猫背の頭を項垂れると、何処からも訪れない救いと知っていて、それでもじっと待っている……。

私のような、鰓(えら)と肺を使い分ける珍種にとって、ここは踏ん張り処なのだ。

腿に肘を突き立て、両手で顔を覆う。

横目で知る時刻は午前11時過ぎ。

テーブルに散乱するコンビニのレジ袋と弁当の食べ残し。

付きまとう訳の判らない焦燥感…。

何故かその感情だけが、日に日に手付かずのまま、今日もちょこなんと鎮座している。



日曜日の、それも惰眠を貪った揚げ句、目覚める以外に手立てが無くなってしまった極楽トンボは、……一体何を焦るのか?

答の出た試しがない。





目覚めるとは、そういうことだ。










∞ ── ∞ ── ∞ ──




∞ ─────── ──────── ∞








空は晴れていた。






雲が綺麗。







───そうだ!

これまでにもそうしてきたように、私はあの綺麗な青い空に報いる為だったら、なんだってやれる、……可愛い女なのだ。


根拠のない勇気に心がザワザワする。


お気に入りの更沙のブラウスを鷲掴みにした時、乾いた風がシュッ-とほっぺたをさらって行った。





あいつ……

今頃、夢の断片が頭を過る。

痛くなるくらい目をギュッと瞑る。


ザブザブ空回りする、水を張った洗濯機の音。


遠く聴こえる、水道工事のトカトントン。





焦らなくていい………

そう自分に言い聞かせる。




なんなら、一日中こうしていたって……。

じっとして、じっとして……。


光を透かした赤い瞼越しに、心地よい風が二度三度、何か言うみたいにして通り過ぎてゆく。









やがて、ここに舞い戻った私に、肩をすくめて笑うあいつの声がフッと聴こえてきて…………
さっきまで歯抜けだらけだったジグソーパズルは、見る見るその空白を埋めて行った。






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