ゴールの先に
市民マラソン
 市民レースはお祭り気分。
 何で仮装なの? 本当にアレで走るつもり?
 屋台も並んでスタート前の賑わいは最高潮だ。
「じゃあ、僕は3キロ参加だから」
 運動の苦手な彼は祭りの中に紛れた。


 10キロ参加のスタート地点は心地よい緊張感。
 イベントレースに勝ち負けなどない。だが、ここに居る者は知っている。
 マラソンは自分との戦い。だからこそ私は調整した。
 陸上部で毎日走っていた頃ほどではないが、恥ずかしくない程度には……走れるつもり。

 呼吸が弾む。
 大腿筋が緊張する。
 忘れかけていたスピード感を体が思い出す。
 
 後続を大きく引き離して、後ろには誰も居ない。
 前には……踵を蹴り上げて目の前の男を抜かした。翼を得たような飛翔感。
 ふと、男が私を呼んだ。

「美咲?」
 振り向けば、ああ、懐かしい顔だ。
 並走に落として挨拶を交わす。
「こんな市民マラソンに出ているとは思わなかったわ」
 彼は初めて付き合った男の子だった。
 卒業と同時に実業団へ進んだ彼は、県外に住んでいるはずなのに。
「故障で帰されたんだよ。市民マラソンぐらいがちょうどいい」
 さらりと言ってのけるが、苦み抜いての決断だろう。
 そして、私はどうして苦しむ彼の近くに居てあげなかったのだろう。
 
 卒業前、彼は言った
「なあ、俺と一緒に来てくれないか」
 プロポーズの言葉。
 それを無防備に受け入れる勇気が無くて……話をうやむやにしたまま、自然消滅した恋。

 並んで走れば、時間が戻ったように錯覚してしまう。
 疲労してゆく筋肉と、規則正しい酸素消費が思考を鈍らせた。
「なあ、まだ独身?」
 呼吸に紛れて彼の声が聞こえる。
「一応ね」
 呼吸に混ぜて答えを吐く。
「俺たちさ、やり直せないかな?」
 酸素が足りない。水の底にいるみたい。
 ふわふわした陶酔と、変わらない声。
 
彼が……好き。

 ゴールに駆け込んだ私を『彼』が抱きとめた。
 筋肉の少ない身体は汗で湿っている。
 彼は……運動がキライなのに、私と走ろうとエントリーしてくれた。
「ちゃんと完走したよ」
 はにかんだ笑顔が、疲れきっていた鼓動を温める。

 事の成り行きを見守っていた男が寂しそうな笑顔で踵を反した。
(さようなら)
 あの日あなたがくれた恋を忘れることはできない。
 でも、今の私に愛をくれるのは……
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