息吹が翌朝目覚めた頃――すでに潭月と周は幽玄町を去り、置手紙を残していった。


「声をかけてくれればよかったのに…!お見送りできなかった…」


「どうせ子が産まれればまたすぐ会いに来る。それよりもお前は色々気を付けろ。つわりが弱まったとは言え、精を出し過ぎて身体を疲れさせるな」


「主さまお小言が多すぎるよ。ああもう…この文…なんて書いてあるのかな」


大広間の机に残されていた文を広げた息吹の顔にみるみる笑みが広がる。

主さまが隣から覗き込むと、息吹とは逆に主さまの顔には苦虫を噛み潰したような失笑が広がった。


『十六夜を見捨ててやらないでくれ』


誰が書いたかは一目瞭然の流麗なる文字。

主さまは息吹の手から文を奪い取ってぐしゃりと手の中で潰した後、座布団を2枚にも3枚にも重ねてからその上に息吹を座らせてさらに小言を連発した。


「花に水遣りは何とか許してやる。だが料理は今後全て山姫に任せる。風呂には絶対ひとりで入るな。俺か山姫が一緒に…」


「主さまと一緒!?それはいや!」


強く拒絶されて仏頂面になった主さまは、朱色の髪紐を揺らして身を翻すと、無言で縁側にどしんと座って抗議。

強く言い過ぎたと反省した息吹は、巾着袋から貝殻1枚と『是』と『否』が書かれた紙を取り出して主さまの前に広げた。


「主さまごめんなさい。でも一緒にお風呂に入るのはちょっと…。心配?」


さっと手が伸びて『是』の上に貝が置かれた。


「心配なのはわかるけど、過保護は困るの。ちょっと動かないとお腹の中の赤ちゃんにも悪いんだって書いてあったし…。じゃあ母様と一緒に入るから。それでもいい?」


息吹が上目遣いでそっと見上げると、主さまはしばらく思案してから貝殻を指でこつんと叩いて動かさない意志を示した。

安心した息吹は子供のように拗ねている主さまの腕に抱き着いて、庭で咲き誇る美しい花々を優しい気持ちで眺めた。


「主さま…楽しみだね。お産にも立ち会ってくれるし、赤ちゃんのお世話もきっと沢山協力してくれるだろうし、主さまは最高の旦那様だよ」


「……まあな。当然のことだ」


息吹は主さまのよいしょが上手。

一気に機嫌が戻った主さまは、再び重ねた座布団を引き寄せてそこに息吹を座らせると、肩を抱き寄せた。

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