聴かせて、天辺の青


「お願いだから、もう少しだけ、ここに居させてくれないか」


私の耳元ではっきりとした口調で告げた彼の言葉が、ゆっくりと胸の底へと沈んでいく。


『ここ』とは『おばちゃんの宿』を指しているんだろう。よほど帰りたくない事情があるのだとしても、今は尋ねたりしてはいけないし尋ねることはできない。


抱き締めた腕の力はとっくに緩んでいるのに、私は振り解けないでいた。正確には、私自身が振り解くのをためらっていた。


今は彼の気持ちが落ち着くまで、このままで居た方がいいんだ。彼の顔を見る気にもなれない。首筋に感じる彼の息遣い、私を抱き締めた彼の腕、体全体が小刻みに震えているようにも感じられて。


彼の口から発せられた言葉は『冗談』ではなくて、きっと本音なんだろう。


抱き締めた彼の腕に触れた手にぽたりと落ちた雫は、確かめる間も無く弾けて消えていく。


「居たらいいよ、好きなだけ」


私の言葉に答えるように、彼は抱き締めた腕に力を込めた。




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