聴かせて、天辺の青

一度は待合室の椅子に腰を下ろしたというのに、私は再び改札口の方へと向かっていた。



正確には改札口近くにあるトイレへと。時間があるから行っておかなければと思っていたのに、今頃になってしまったのはすっかり忘れていたのではない。



海棠さんの手を離すタイミングを逃してしまったのが本当の理由。



洗面台の横の小さなパウダールームで鏡に映る自分とにらめっこ。化粧直しするほど化粧はしていないけれど、風にもて遊ばれた前髪を指先で整える。唇に薄くグロスを塗っていたら、海棠さんの唇の感触が蘇ってきた。



急に恥ずかしくなって、鏡の中の自分から目を逸らした。まともに自分の顔さえ見ることができなくなって、化粧ポーチをバッグの中に押し込む。



ちょっと強く押し当てられたぐらい、なんてことないはず。手を繋ぐことと大して変わらないと思っていたのに。



自分の意気地の無さに苛立ちながら、ホームへと続く連絡通路をずんずん歩いていく。



反対方面の列車が到着したらしい。
いつの間にか私は、反対方面のホームから連絡通路へと流れ出てくる人波とは完全に逆らっていた。私とすれ違っていく大半が迷惑そうな視線。



その中で異質な視線が、私に注がれていることに気づいた。



視線を辿った先に、人波から飛び出た頭が見える。大きな肩を揺らして、ゆっくりとこちらへと近づいてくる男性。
目が合うと、きゅっと眉間にしわを寄せた。




< 355 / 437 >

この作品をシェア

pagetop