think about you あの日の香りとすれ違うだけで溢れ出してしまう記憶がある

キスについて

「俺は、死なねェし、病気もしねェ。」

昼間の社員食堂。私たち本社勤務組は、2人で昼食をとるのが日課になっていた。

男性と食事をしていると、その早さや量に影響されて、太る。

「ちょっと痩せたら?」

本気でツッコんでくる奴がいる。

面と向かって言われると、さすがの私もキズつく。

そう、この男。保険のおばさんに対しても、堂々と暴言を吐くのだ。

野口和歳。のぐちかずとし。通称ぐっちゃん。

唯一の同期本社組。

他のメンツは、支社へ行ってしまった。

私は女性ただ1人のトップ入社で、彼はNo.2だから当然の結果かもしれない。

数少ない戦友だ。

「…あのさぁ。ぐっちゃん、意味がわかんないし。」

怒り浸透の保険外交員を見送って、ぐっちゃんを諭そうと語りかけた。

「でも、俺は死なねェって。」

「ちがうしょ。おばさん、潰してどーする。てか、コワイ。」

「んじゃ、中西さんは何か入ってるの?」

そういえば、大学時代の医療保険は、支払いが滞った結果消滅していた。

「…………何も?」

「………。」

ぐっちゃんの苛立つような、呆れたようなため息が聞こえた。

ぐっちゃんは、仕事が楽勝すぎると言って、ボクシングジムに通っていた。

確かに簡単には死にそうにない、屈強な男性だ。

三人兄弟の長男で、B型俺様男子。潔癖。

……一番結婚したくないタイプ…。

高校生時代に、同設定の彼氏がいたけど、泣かされた記憶がある。

もちろん、甘い甘い記憶だってあるけど。

見た目は、イケメンとは言いがたい。

目が細くて色白で茶髪。

身長は178cm。

155cmの私からは、見上げないと目が合わない。

「もうすぐ、夏がくるね。見てよ、あの積乱雲。

梅雨はどうなったのかな。今朝の新聞だと台風がきてたけど、

梅雨前線の暖気がでかいから、上陸はなさそうだよね。」

ぐっちゃんは始業前の少しの間、アイスを片手に

私の話に耳を傾けてくれる。

聞いてるのか、聞いていないのかわからないが、そんな彼を相手に

脈絡なく話をするのが好きだった。

おしゃべりな私は、討論するよりも、黙ってきいてくれる相手が必要だ。

穏やかな午後。忙しい毎日に10分だけのリラックスできる感じ。

そうだ。私は彼だけに全力で甘えていた。

目の前を通過する人を見て、なんとなくつぶやく。

「あの人名工大らしいよ。すごいよね。でも、私はたぶん、キスもできないわ。」

「…なんで?」

「生理的に無理だもん。」

「…俺…キス、うまいよ。」

驚愕。

こんなに清々しい青空のしたで、なんということを言うのだ。

しかも、試してみようかと言わんばかりに。

私は全力でしらばっくれた。

「はぁー?キャバクラで言われたんでしょ?店の嬢とキスしたらダメだからね!

つか、そんなもん常套句だから!鵜呑みにしないの!!!」

早口でそれだけ告げて、その場をあとにした。

と言うよりも、完全にパニックでそれだけ言って逃げるのが

精一杯だったのだ。










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