花散里でもう一度
雪路


「必ず迎えに来る。」

端正な顔は苦しげに歪み、痛みを堪える様にも、泣いている様にも見えた。

凍えた指先が、そっと私の頬を撫でる。



降り続く雪は、足跡を覆い隠す。

降らないで、茨木への道が消えてしまう。

いいえ、降り積もれば誰も彼の後を追えなくなる。

その方がいい。

追っ手が掛かっているかも分からないのだから。

小さくなる後ろ姿を見送る。

どうか、生きて帰って。

私の所へ、そこがあなたの帰る場所…そうでしょう。




◇◇◇◇




人離れしているその美貌は、確かに人の物ではない。

茨木の額には二本の角がある。

私を攫った鬼は、いつしか私を妻と呼び、私の腹には赤子が出来ていた。

勿論、茨木の子供。


攫われて来た最初のうちは、腹が立った。
けれど逃げ出す事の出来ない鬼の里に閉じ込められ、そこでの暮らしは意外に心地よく、茨木の不器用な愛情表現と、その一途な想いに、気付けば私はすっかり絆されていた。

あの強くて優しい、美しい鬼に魅入られた。

ううん、私も茨木を愛したのだ。



冷たく冴え冴えとした美しい面に隠された苦悩、誰も彼の心の深淵を覗く事は出来なかった。

弱みを見せる事の無い茨木が、私に垣間見せる無防備な顔は、寄る辺無い迷い子の様。

私よりもずっと大きな体と、人間とは比べ物にもならない力を持つ鬼。それなのに、彼を守らなくちゃいけないと思っていた。

私は、茨木を支えたかった。

彼の傍に、ただ有りたかっただけ。





けれど、それは叶わない。

私の父は中納言の役にあり、其れなりの伝手と力が有ったから。

父は、私を取り戻そうと必死だった。

子の無事を願う父の心中を思えば、無理ない話だ。

やがて宣旨が下り、大江山の鬼退治に何人もの武者が名乗りを挙げ、大挙して押し寄せた。

鬼の血脈は衰えて、人間達を退ける事は叶わず、鬼の里は蹂躙される。

茨木の兄も、私が姉とも慕う者も、たくさんの鬼達が、その命を奪われた。

私のせいで…。

私が鬼に心奪われたから。

それでも、茨木は立ち止まる事を許されない。

敗走の鬼達は、茨木への不信を見せつつ、然りとて先頭に立とうとする者はおらず、やはり茨木が長である事は変わらなかった。

住む場所も無い、食べる物も後僅か。

お先真っ暗、死出の旅路を歩むが如く。

それなのに、一族を率いる長として、より苛烈で苦しい道を歩むのだ。

だから、私が出来る事はこれしかなかった。
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