花散里でもう一度
蛇蝎


祭りの日から少々さかのぼる頃、常には静かな里で騒ぎが起こっていた。

山里の生活は自給自足に終始する訳ではない。
焼いた炭や、竹細工などを売りに山を降りたり、売ったその金で塩や衣を買ったりと細々としたやり取りがあった。

今夜村長の家には村中の男達が集まっていて、その熱気たるや真夏の夜の蒸し暑さの様だ。

「どういうことだ!村を出入りする度に上納金だなんて無茶だ、しかもなんであんな奴らに金を払わなきゃならないんだ!」

憤る村の若衆を何とか宥めようとするが、一行に静まらぬ。
渋い顔をして、長く伸びた顎髭を撫でつけ気を落ち着かせようとする村長だが、この村長とて寝耳に水だったのだ。

この辺り一帯を納める田堵(たと)の宮地は、なかなか狡猾な人物らしく、都より赴任してきた国司とは特に懇意にしている。
そもそも確立された公の力を持つ国司に阿るのは、脆弱な立場と自らの富を守る為に当然必要な事だろう。
だが、その割合は農業経営を生業とする者からは逸脱し、国司の勢力に傾倒している。それを許す任官も、甘い汁を吸う事を覚えたに違いない。

だが、田堵の私有地を通る度に金を払えなど、無茶な話だ。

村の暮らしは立ち行かなくなるに違いないが…この困窮を陳情しようにも、国司ははなから相手にもしてはくれないだろう。

しかも、よからぬ輩を雇い入れ腕ずくでも徴収してやろうと言う念の入れようだ。

「明日、わしが宮地様に談判して参る。しばしまて、先ずは話をせんことにはな。」

しかし、解せぬことにはこの山里のみを標的にしている点か…何故だ。
だが、何かが有るのはたしかだ。
もうすぐ秋祭りもあると言うに、面倒な事になった。

村長は、痛む胃の腑の辺りをしきりに撫でながら、深いため息をついた。


◇◇◇◇◇


暗闇を照らし出す篝火が赤々と燃え、行き交う人々を照らし出す。
寂れた村の祭りには珍しく、楽団が招かれており楽しげな音が溢れていた。
そんな楽しげな祭りの夜、浮かれた男女の群れに紛れ、そいつはいた。

境内の隅のあちらこちらで甘い囁きが満ちていると言うに、無表情で視線の先を睨んでいる。大刀を抱え込むようにしながら石段の端に佇んでいるその男は、こちらに気付くと口の端を持ち上げ声を出さずに笑った。

「久しぶりだな、蝮。…三年ぶりか。」

「…蛇(くちなわ)、生きていたか…」

蛇と呼ばれた男は、やれやれとばかり肩を竦める。
ゆっくりと石段を降り自分の前にくると、目を眇めて睨みつけた。

「俺は残念ながら悪運だけは人一倍強いらしいや。」

睨めつけるその対の目は、刀傷に塞がれている。

「なぁ、蝮。…三年ぶりに積もる話をしようじゃないか。…そう、三年前の話の続きをな。」

くくっと喉の奥で嗤う蛇は、目の前に立つ男の喉元に、鞘に収まる刃をピタリと当てた。


◇◇◇◇◇


祭りの晩から阿久が家に戻らない。
まだ三日ほどだから…そんなに心配する事も無いだろうけど、ね。

「かあちゃん、阿久は?どこ行っちゃったの、もう帰って来ないのかな?」

心配顔で私を見上げる伊吹は、本当に阿久を案じているのだろう。阿久の作ってくれた団栗の独楽を、手の中で転がしている。
よしよしと頭を撫でてやれば、私に噛り付いて来た。
こんなところはまだまだ幼いのだ。愛おしいと感じるその幼さに、いつも自分は救われていると思う。撫でつける伊吹の柔らかな髪の質感が手に優しい。

「大丈夫だよ。きっと都に炭でも売りに行っているんだろう。ほら、洗濯物干すの手伝って。」

そうなのだ、大きな腹がつっかえて、足元にある物を取るにも一苦労。でも伊吹が一生懸命手伝ってくれるから何とかなっている。
阿久もさりげなく色々気遣ってくれていたんだと、その人の不在により気づかされた。

その時、木戸を叩く音とそれがからりと開けられ、見たことの無い髭の爺様が戸口に立っていた。

「ちょいと、お邪魔しますよ。」

「誰?」

訝しげな私の視線に、答える爺さんは長い髭を撫でつけながらボソボソと口の中で呟く。

「わしゃ下の村の村長じゃあ。あんたかい、阿久の嫁さんてのは…」

微妙な問いだ。
私自身はそう思ってはいないが、そうだとしか言えない立ち位置にいる。『いいえ』と答えれば、その腹はなんだと言われるだろうし、『はい』と答えれば、私自身に適切ではない。
答えにまごついていた私にはお構いなしに、話を続ける村長。

「頼みがあってな、わざわざ山を登って来たんじゃがな…あんたの旦那の事じゃ。」

それから先は言いづらい様で、伊吹にチラチラと視線を送っている。

「伊吹、外で遊んでおいで。かあちゃんは村長殿と話がある。」

「えー、やだよ。おれも一緒にいる!」

阿久の真似だろう、俺だなんて言ったことなかったのに、背伸びしたような息子の様子に笑が浮かぶ。

「大丈夫、何にもないから。村長殿は話をしに来ただけだ。ほれ、遊んでおいで。」

しぶしぶ家を出る伊吹の後ろ姿を見送ると、囲炉裏端に座る村長に白湯を進める。
暖かな湯呑みを大事そうに持ち、ズルズル音を立てて飲む髭の爺様は、なんだかくたびれて見えた。

「えー、あー、その…なぁ…。田堵の宮地様が領地を通る度に上納金を納めよとなぁ…無理を言うて、村中の者が難儀しておるんじゃが…」

言い淀む村長は手の中の湯呑みを弄び、言いかけては止めを繰り返していた。余程言いにくい話であろう、ということは上納金の話以上に厄介な問題が発生しているに違いない。
静かに村長を待てば、意を決する様にしっかりと顔を上げ私を凝視する。
かなりの厄介事と、私も腹を据えるた。

「六年ほど前に阿久がこの村を出て、都に行っていたのは知っているか?」

「はぁ。三年前に帰って参りましたね。」

「都にいた阿久が何をしておったかは…知ってるか?」

「いや。」

盛大な溜息をついた村長は、シワが刻まれた大きな手で皺くちゃの顔をつるりと撫でると、ポツポツと話し始めた。

「……。母親が死んで、阿久は親恋しさからだろうかのう、自分を捨てた親父の後を追って都に出た。
その親父の生業は夜盗の首領じゃったそうじゃ。この村に転がり込んで来た時は、真っ当に泥仕事もやっておったし、一旦は足を洗ってまともな生活をしていたども、恋女房に先に逝かれてからは大分荒れておった。忘れ形見の子供を見ているのは辛かったのか、女房のいないこんな田舎に何の未練も無いからか…
ある日突然姿を消した。幼い阿久を置き去りにしてな。」

なるほど、閉鎖的な山里で父親が夜盗だったなどと言えばさぞかし肩身は狭かろう。荒れた幼い頃の阿久の昔話を思い出す。

「都で何をしていたか、詳しい話はわしも知りはしない。だが大体の想像はつくじゃろう。実際その想像通りの事をした挙句、都のお偉いさんの恨みを買ったようじゃ。今度の上納金の件は、都のお貴族様の命を受けた宮地様が差し金。恐らく阿久を炙り出すのが目的だったはず。そしてその目的は果たされた…」

「阿久は宮地の手に落ちたのか⁉︎」

「祭の夜から帰っておらんのじゃろ。わしはそう見る。だがそれではまだ足らんらしい。宮地様の締め付けは更に厳しくなっておる、何やら探し物がまだあると思われる。」

なんて粘着質な奴らだ。
やり方が気に入らないが、絶対的な強者としてこの地域に君臨する田堵のやる事だ、表立って楯突くわけにもいかず、手立てがなさ過ぎて私にお鉢が回ってきたのだろう。

仕方ない、私に出来ることなどあるとも思えないが…村長の言いたい事はよく分かった。
人の良さそうな村長が気の毒に思った私は、村長の後を引き取り言った。

「及ばずながら、お手伝いいたします。彼らが満足するかどうかは別にして、此方も協力的な姿勢を見せておいた方がいいでしょう。」

たとえそれが見せかけだけだとしてもねぇ。
それでもあからさまにホッとした顔の村長に、チクリと釘を刺す。

「あくまで協力という姿勢、この事態の収拾を保証するものではない。悪しからず。」

「わかっておるよ。身重の嫁に頼める事ではないが…すまんなぁ。」

薬箱から幾つか薬草を取り出し、乳鉢でゴリゴリやり始めた私に怪訝な顔をする村長。
髭の爺様は苦労性の様子、こんな面倒事が続けば胃の腑に穴が開くかもしれん。
それはあんまりだ。板挟みになる辛さはよく見知っている。
辺りに漂う薬湯の臭いに顔を顰める村長に、殊更ニッコリ微笑みながら椀を押し付ける。

「村長殿、これをどうぞ。胃の辺りが痛むのではありませんか?気休め程度には効くと思いますよ。」

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