花散里でもう一度
蜥蜴
「くっくく、はっははは!」

突然笑い出す蛇。
肩を震わせ笑をこらえるも、それは不成。だんだんと音量を増して行く嗤い声は、狂気を孕む。

「なっ何が可笑しい!」

ダルダルの輪郭を揺らすようにしながら、唾を飛ばして叫ぶ豚。
口元をその白い手で押さえながら笑を堪えた蛇は、先程迄とは打って変わった冷え冷えとした視線で豚を見下ろす。

「はい、言っちゃったねぇ。あんたは今、確実にしくじった。」

「あぁ?私に向かってよくもそんな口をきけるな!無礼者‼︎」

ブルブルと体を震わせながら青ざめている豚。

「無礼というならあんたの方さ。仮初めの地位とて国司に任じられるお貴族様は余程旨味があったと見える…が、それはあくまで借り物、お前のものじゃない。身の程を知りなさいね。」

「く、くちなわ…黙らぬか!」

ちらりとこちらに視線をくれながら、再び豚を見やる蛇の目には侮蔑の色しか浮かんではいない。

「…この男を殺すのは何ら躊躇はしないがね、この村は関係無い。もしも、あんたの言葉通りこの村で虐殺が行われたなら…流石にあんたもただじゃすまない。人の口に戸は建てられない、悪事千里を走るって言うだろう。下手したらあんたは反乱の首謀者として、中央から兵を向けられるかもしれんな。貴族社会ってのは恐ろしいもんだぞ、昨日の友は今日の敵。知略謀略そして怨念渦巻くあの修羅の庭では一瞬の気の緩みが命取りになる。火の無いところに煙は立たぬと言うが、一筋の煙でさえ見つけりゃあっという間に大火事さ。自分の預かり知らぬ所から火が周り、気が付けば丸焼けにされるよ。」

「お前は…何を言っている…?」

「あんたもそれほど信用されていなかったって事さ。『蜥蜴』あんたの本来の呼び名だ。その名で呼ばれるのは久方ぶりだろう。」

『蜥蜴』
その呼び名を聞いた途端、怒りで真っ赤になっていた顔が面白いほどに真っ青に変わった豚。

「ま…さか、まさか、お前…」

「頭がお前ごとき矮小な人間に全て任せる訳は無いと、思わなかったのか?」

だいぶ離れたところにいる私にまで聞こえるほどの歯ぎしり。ギリギリと噛み締めた口元からは呪詛の言葉が溢れ出る。

「くそっ!狗めが!死ね、死ねっ死ねえええ‼︎」

「彼の姫君の行方はこちらも探していた。あれをそのままにはしておけない。だから蝮を探し出したと言うにな…そんな事も忘れて、一時の感情に身を委ねるなど愚か者よの。第一狗はお前の方だ、蜥蜴。己の本分を忘れおって…」

「くぅ!お、のれ!」

「頭は間者としてのお前の働きに感心していたが、だからこそお前を野放しにはしやしなかった。お前が忠犬ではなく、金と権力に阿る駄犬と見抜いていたから、もっとも誰の目にも明らかだったがね。」

幾分落ち着きを取り戻した豚が、嘲る様に嗤い腹を突き出すように胸を張る。

「ふん、お前の言を借りれば、火種となる諍い事は御法度じゃ。儂に手出しなど出来ぬであろう。」

「甘いネェ!甘い甘い。本気で言ってるのか?そりゃあ表立った立ち位置にいるあんたの話さ。裏稼業の俺らはどうにでもなる。それに…お前の代わりは幾らでもどうにでもなるぞ。」

人の生き死になどどうでもいいと言わんばかりの蛇。その首をすげ替えるのに何の躊躇いも抱きはしないに違いない。それは、言葉のあやではなく、実際に首がすげ替わる事を意味するのだろう。
再び額に青筋をたてながら歯噛みする豚。
その様子を見ながら、少しづつ間合いを詰めて来た阿久が私に耳打ちする。

「伽耶、今の内に逃げろ。」

「それよりお前の方がマズイ状態だぞ。それに、蛇の顎からはのがれられまい。」

あたりを見渡せば、ぐるりと蛇の手下の男たちに囲まれた状態の今、その包囲を破るのは容易な事では無い。
蛇と豚の睨み合いに気を取られているように見えるが、その実阿久の動きには敏感に反応している。
睨み合いはここにも…
その包囲の外側には村人が様子を伺っている、彼らになんとか動いてもらわねばこの膠着状態は続く。

しかし、結局あやつは何がしたいのだ。それがわからぬことには身動きが取れぬ。あの豚は阿久目当てにのこのこでてきたにしても、蛇の狙いはわからぬ。
万里小路の一姫様を手に入れ何を企むのか…。

万里小路…

数年前の大火…

一姫様…

国司と騰蛇の関わり…

阿久と蛇…

阿久の裏切り…

袋小路に迷い込んだよう。複雑に絡まった糸はなかなかほぐれてはくれず、焦れば焦るほど解決の糸口さえ見つからない。

「しかし、お前のような俗物だからこそ御しやすいのだが…あまりにお粗末な知行を見れば、嘆かわしいことこの上ない。」

「お前達!蛇を殺せ!捨丸もあの女も!さっさと殺れぇ‼︎儂の目に映らぬよう疾く疾く!殺してしまえ!」

脂汗を額から流しながら地団駄踏む男には品性のカケラもない、それでいて貴族を名乗るなど…なんともおこがましい奴だ。

「何故動かぬ!…そうか、金か⁉︎幾らでも出してやる!ええい、何でもくれてやる!だから早く、あやつらの息の根を止めろ!」

唾を飛ばし汚らしく喚き散らす蜥蜴。どんなにがなり立てても、誰も動こうとはしない。
冷やかを通り越して憐れみすら含んだ蛇の視線にも気づく事無く、同じ言葉を繰り返す蜥蜴は壊れた玩具の如く。

チャリ

小さな金属音が空気を変えた。
刀の柄に手をかけ鯉口を切る蛇を目にするや、再び激しく震え出す豚も同じく刀に手を掛ける。
蛇の言うことが本当なら、目の前の豚も刃の扱いは一通り知ってはいるのだろう。だが、間者としての働きを目にかけられたというのなら、完全な武闘派だろう蛇にはどうやっても勝機はなさそうだ。

「さあ、御託はいい、やろうじゃないか。その手にある物はお飾りじゃないんだろ。…お前はやり過ぎた、お仕置きの時間だよ。」

「う、うるさい‼︎し、し、死ねえええ‼︎」

ドタドタと大刀を振りかざしながら走り出す蜥蜴は…素人の私から見てもダメなのは分かる。
振りかぶった刀を振り下ろす間もなく、蛇の刃が蜥蜴のダブついた腹を切り裂いた。
流れる様な鮮やかな手で蛇の実力の片鱗を伺えたが、速すぎてよく見えなかった。
隣を見上げれば、険しい顔を更に眉を寄せた阿久がじっと見つめている。

「あいつ…。」

蜥蜴は鮮血を噴き上げながら数歩進むも、その目は何も見てはいない。そのまま地に倒れこんだ脂肪の塊の様な体を中心に、赤い血だまりが広がっていた。
ふうっ、と一息ついた蛇は刃を一振りし血を振り落とす。こちらを振り返る蛇の白い肌に、血飛沫がかかり壮絶な様相を醸している。人一人切った直後とは思えない静けさを称えた微笑みが胸に刺さる。

「雄略天皇の御代は遥かな昔、なれど…全く持って度量の違いを感じさせる話だな。」

蛇の表に現れる自嘲的な笑みと、彼の呟いた言葉にはっとした。
同時に脳裏に閃いた可能性。
可能性、ただの仮定だが、そうだとしたら…この複雑化した事態も一通りの説明も付く。

「…雄略天皇…もしや、蛇は…」

一瞬の沈黙の後、悲鳴が上がり怒号が飛び交う。鄙びた小さな山村ではあの様に人が殺されるなど、滅多に有る事では無い。ましてや目の前で人が斬り殺される一部始終を見てしまった。

「人殺し!人殺しだぁ‼︎」

誰かは分からない声が上がり、『人殺し』という囁きが辺りに満ちる。
恐れと嫌悪が渦巻くその空間で、一人静かさを保ち平然と前を向く蛇。

「血塗れの手は考える間も与えてはくれない、迷う間も無く相手の命を摘み取る。そうしなければ、地に転がる骸は自分だっただろう…、こいつらにはそれが分からない。そうだろう蝮?今更抜けようとしても抜けられはしない、修羅の道しか歩めないのさ、俺もお前も。」

今、村人達の視線は阿久に注がれている。それは蛇を見る物と同様のものであった。

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