花散里でもう一度
仮定
もしも、私の考えた仮定が正しいのだとしたら…なんとも救いようのない…。



言葉もなくただじっと阿久を見つめる蛇は、途方に暮れた寄る辺ない迷い子のように見えた。
だが、そんな顔も一瞬の事。
冷徹な騰蛇の一員として、かつての仲間であり、仕事の依頼主でもある男の亡骸を、躊躇なく塵を片付けるように指示を出す蛇には、後悔も悲哀も浮かんではいない。あるのは無機質な、目の前にある事象に対応する姿勢だけ。

無駄のない動きで蛇の手下が、ただの肉塊と成り果てた物体を運んで行く。土を撒いて立ち込める血の匂いを消そうとしている。ここまで後始末をするのは驚いた。

蛇が幾分芝居がかった様子で村人たちの輪に声を掛ける。
よく通るいい声だ、それが尚更いやらしい。
声色だけを聞けば、眉一筋動かすことなく人の命を奪える男だなどと、誰も信じはしまい。
だが、多数の村人の前で行われた凶行…それも蛇の計算の内なのだろう、阿久を追い詰める為の布石。

「俺たちの用は粗方済んだ。獅子身中の虫は片付けた、あとは裏切り者への制裁…。お前たちには他には何の用も無い、さっさと家に帰って寝てろ。今日この日この時の出来事は、悪い夢でも見たと思って忘れろ…それが身のためだ。」

『裏切り者…』
その単語が辺りをざわめかせる。それが誰を指すのか、もう皆わかってしまっている。山から降りてすぐに感じていたあの居た堪れない視線が再び突き刺さる。
更に畳み掛けるように蛇から発せられる言葉は、完全に阿久を孤立させる為の物。

「次の国司は誰が来ようと、好き勝手はさせやしない…あの豚の最期をお前たちは見たはずだ。勿論、俺の邪魔をしないのであればだがねえ。」

理由は分からないが取り敢えずこの物騒な人間は、この村にとって不利益な動きはしないのだと理解した村人たちは、お互いの顔を見合わせている。同じ村に住む人間を人身御供として供えさえすれば、我が身は安泰と思っているのは手に取るよに分かる。
醜い算段だとしても、長いものに巻かれる習性を非難することは出来ない。取るに足らない存在だとて、我が子我が妻にとってその人の無事がどれほど大切なことか…それくらいの想像力はある。大切な家族を守るためなら、他人の不幸など目を瞑ろう。そう思うのも無理からぬ事。

私の思考を断ち切ったのは、鈍い音と微かな呻き。
同時に、阿久の左側について彼を縄に繋いでいた蛇の手下に組みつくと、その腰から大刀を引き抜いた阿久。
何が起こったのか、すぐには理解が追い着かない早業であった。数回目をしばたいて見ても、つい今しがたまで阿久の体に食い込むように回されていた縄は、彼の足元に落ちている。
恐らくは肩の関節を自分で外したのだろう、先程聞いた鈍い音はそれか。

「蝮!」

焦った蛇の手下の声が上がる。
それだけで、彼らがどれだけ阿久を恐れているの知れる、そのせいだろうか、今が千載一遇の好機で有っただろうに動けないでいた。
眼光の鋭さはだてではない、阿久の一睨みで抜刀すらためらう男達。
その合間に、関節が外れたせいでだらりと下がった左腕を、捻るようにしながら肩に捩じ込む阿久。
あっけにとられて見ているしかない早業だ。
体の中でも肩は大きな関節だ、それを自分で外すなんて…痛くないわけがない…が、そんなことを言う暇は無い。
右手で 大刀を構えながら、左手で私の手を握る阿久の手は冷え切っている。これで常の動きは出来ない…。このまま蛇と切り合えば無事ではいられない。

「伽耶、俺が退路を開く。早く逃げろ!」

「馬鹿者!お前は修羅道に戻りたいのか!」

「馬鹿はお前だ!今逃げずしていつ逃げる!引き際が肝心だ…。」

「お前こそ!……もう罪を重ねるな…」

そう叫ぶも、この場を切り抜けるには阿久に頼るしかないのは分かる、修羅道も何もそれしか道は無いと言うに…綺麗事を諦められないでいる私は馬鹿だ。それは安全な場所に身を置いているからこそ出来る、ただの夢物語なのだろう。
唇を噛みしめれば、口の中には錆の味がひろがる。

本当に馬鹿者は私だ。
大馬鹿者だ。
いつだって助けられているばかりで…茨木と共に在ると誓った筈なのに、それすら守れなかった。
不安に揺れて縋り付くような視線に気がつかないふりをして、それを振り払い違う道を選んだというに…ここでもまた同じことをするのか。
自分の手を汚すことを恐れて、誰かの助けを期待して、綺麗事ばかり…なんて酷い女だ。

阿久に放ったその言葉は、彼の判断を損なわせた。
切りかかってきた手下の者の刀を弾くが、それ以上の反撃が出来ないでいる。
当然だ、手足の爪を剥ぎ取られた阿久が、満足に刀を振り回せるわけがない。

「阿久!やめろ!」

人の輪の中から転がり出てきたのは爺様だ。その小さな萎びた体を阿久と蛇の間に滑り込ませ、必死の形相で懇願する。

「お願いだ、阿久を見逃してくれ。このままでは死んでしまう、それに伽耶は見ての通り身重の体じゃ。この通り!頼む!」

「翁どの…阿久は…見逃してはやれないね。あいつは、俺の獲物だよ。それに…」

言葉を切って辺りをぐるりと見渡す蛇は、仕方が無いと言わんばかりに方をすくめる。
小さく漏れる笑い声は、段々と大きくなり…狂ったような笑に変わる。

「それに、お前たちはもうこの村にはいられないだろうよ。人ってのは弱くて醜いもんさ、昨日までの良き隣人でさえ、権力者の一言で手のひらを返した様に、お前たちを潰しにかかるぞ。」

水を打ったような静けさが辺りを支配する。
誰も一言も発しない状況をみて、満足げに笑う蛇。

「この世は、全く持って下衆ばかりだな蝮。」

「それがそなたの周りの世界だったのかもしれないが…、手に入るかもしれなかった物が大きすぎたのも、理由の一つではないのか?ここは、生きてくのに必要な分だけしか持たない者しかおらんよ。」

眇められた灼眼が私を捉える。

「…それなら尚のこと、じゃないのか?」

「蛇、ここのささやかな暮らしを掻き回すのは止めてもらえないか。羨ましいからといって、阿久を潰したところでそなたの真に欲する所は手に入りはしまい。」

「お前さん何が言いたい …」

睨みつける蛇の視線に、背筋が伸びる。跳ねる心の臓を意識して殊更深く息を吸う。
臆するな、言葉を紡ごう…あの男もまた、傷ついた者なのだ。

蛇の視線を真っ向から受け止める私に、オロオロとする爺様。その表情は、余分な事を言ってくれるなと分かりやすい程に物語っている。
大きく息を吸う私を訝しげに見る阿久。


「雄略天皇の御代と、先に口にしておったではないか。あれは、自らと重ね合わせた故の言葉であろう。白髪皇子と、そなたを。」

無言の蛇、だがそれはその先を促す沈黙と受け取った私は、自分の頭の中にある仮定を、言葉に音に変えて行く。

「白髪皇子は雄略天皇の子であり、その名の通り白子であったと伝えられている。更に帝は皇子に霊位を感じ日嗣と定めたとある。」

「おやおや、光栄だね。そのはなしからすれば俺は皇子様って訳だが…そんな風に見えるかいこの蛇がよ。」

「そなたは認知すらされず、今は夜盗なんぞに身を落として罪を重ねる身の上…同じ身の上だとて、なんたる違いかとあんたは親を憎んだかもしれない。だがねえ、それは愛されたいその裏返しの感情さ。」

首筋を這い上がって来る冷気、それを放つのは闇に揺らめく炎に紅く煌く瞳。
刺さるほどに鋭いその視線には、怒りの、苛立ちの、彼の中に荒れ狂う行き場の無い炎が封じられている。
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