【完】『賀茂の流れに』

3 消えた恋人


車を向かわせたのは下立売新町の府庁である。

「なんで府庁に?」

「まあ、行けばわかる」

七本松通を丸太町で折れてまっすぐ行くと、左手に府庁の入口の大通が見えた。

駐車場から敷地をずんずん歩いてゆくと、

「…わぁー」

萌々子が声をあげた。

そこには、木々をバックに生成(きなり)色をした威風堂々たる洋館が、真冬の青空を従えて聳えていたのである。

「これが府庁?」

「そう。旧館やけどな」

平日やから中も見られるんや──というと、翔一郎たちは入っていった。

中は荘厳である。

真っ赤な絨毯に、まるでおとぎの国の洋風の城のような広い階段と、縦長の窓があって、全体的としては明るかった。

「これはサプライズやな」

それにしてもよう知ってたなあ──と慶は感嘆の様相を隠さなかった。

「前に東京から来たアイドルのグラビアの撮影のとき、ロケハンで来たんや」

結局そのとき撮影は違う場所を使ったのだが、いつか撮るときの候補にはあげてあったらしい。

「ほんなら萌々子ちゃん、撮るで」

そういうと翔一郎は萌々子を階段の手すりに寄り掛からせて、ポーズを作って一枚撮った。

「…もう少し陰影ある方がえぇなあ」

カメラの設定を少し変えてもう一枚撮ると、

「こんな感じやけど」

と慶にディスプレイを見せ確認させた。

「萌々子ちゃんも見とき」

カメラの画面を手に翔一郎は萌々子に見せると、

「わあ…スゴい綺麗に撮れてる」

とても満足そうな表情で、

「ありがとう饗庭さん」

「親友の彼女やし、タダでえぇわ」

照れ臭げに翔一郎は笑い飛ばした。

「せっかくだし、エマちゃんも撮ってもらいなよ」

萌々子に勧められるまま、エマを階段の途中に座らせて両手で頬杖をつかせるようにポーズをつけ、

「何か物思うこととか浮かべてみ」

遠くへ視線をエマが投げたところを、次は連写でシャッターを切った。

エマが着ていたのが制服であったから、まるで名門の女子高の光景を切り取ったような写真にディスプレイでは仕上がっている。

「いろんなテクニックがあんのやなあ」

慶は感心しきりで、

「もともと何かやりそうな気はしてたんやが」

才能あるなあ──といい、

「個展開いたらどうや」

と慶は、勧めてみた。

が。

「なんぼなんでも、そら無茶やで」

翔一郎は続けた。

「日本人って無名のプロが個展開いたかて何の反応も示さへんし、何か賞取りましたって看板ないと場所も貸してもらえんケースかてあんねん」

「うーん…饗庭さん、東京来てみたらチャンス拡がると思いますけど?」

萌々子はいった。

「おれはな、東京より京都のほうが性に合うとる」

チャンスは狭くても、京都にはエマもおるからここでえぇ、というのが翔一郎の言い分であった。

「…お前らしいな」

「そうや、人間はなんでもかんでも手ェ広げたら何もできんくなるから、両手でできる範囲でえぇのや」

慶もそれを聞くと、敢えては強く勧めない。

(男どうしの友情っていいなあ)

エマは何となく羨ましく感じたのであった。



翌週。

エマを連れ立って翔一郎は再び、府庁の旧館で撮影をしてみた。

今度はエマにゴスロリを着てもらったのだが、

「エマが着るとハマりすぎや」

翔一郎は苦笑いした。

クッキリめな顔立ちのエマが着ると、少し人間離れした実寸のフィギュアめいた雰囲気になってしまう。

しかも。

たまたま途中から雲で陽射しが暗くなったのもあり、翔一郎が思うような理想の写真はなかなか撮れなかったらしく、

「モデルって、大変なんだね」

と拘束の長さに、エマが少し不機嫌になってしまう始末であった。



現像が仕上がった。

翔一郎は何枚か候補を選び出し、烏丸御池の一誠の事務所まで出向き、

「〆切ギリギリまでかかりました」

といい、一誠に候補の写真を見せてみた。

「どれも綺麗には撮れてるけど」

決定打がない、と続け、

「例の撮り溜めたの、見せてみ」

といわれたので渋々出して写真帳を開いた。

じっくり一誠はページを繰りながら見ていたが、

「なんや、こっちにえぇのがあるやないか」

一誠は珍しく、大きな声をあげた。

「これ飾ろうや」

指で示したのは、最初に府庁の階段でエマを撮った、制服姿の一枚である。

「モデルのこの、目が特にえぇ」

どことなく物憂げで、真っ直ぐ何かを考えているような目である。

「これは完全に、誰かに恋してる目や」

「はあ」

誰に恋をしている、というのか…翔一郎には皆目分からない。

「これのデータは?」

「バイクに積んであります」

よっしゃ、ほんなら決定や──一誠はまるで、財宝を見つけたかのような実に満足げな感をみなぎらせていた。



西陣に戻った。

「エマ、あの写真飾られることになったで」

網代戸を明けざまにいった。

が、エマがいない。

机にメモがある。

可愛らしいエマの字で、


「翔くんへ
 もう翔くんには逢えなくなります。
 楽しかったよ♪
 バイバイ。  エマ」


とある。

翔一郎は、事態がよく分からなかった。

分からないまま、その日は太陽だけが静かに傾いていった。



三月。

寺町通の革堂から電気会館の方へ少し下がった界隈に、小さく「陣内一誠写真展」と看板に書かれたガラス張りのギャラリーはある。

ガラスの内側は小さな花籠が幾つか置かれ、そこには「祝個展」とあった。

一誠は観衆の盛況ぶりにすっかり上機嫌で、

「次は饗庭の個展やな」

と、例のエマが写った写真を眺めながら、時折かけられる声に応対している。

そのとき。

翔一郎の携帯が鳴った。

「はい、饗庭翔一郎写真事務所です」

出ると、かけてきたのはなぜか神奈川県の警察からである。

「何かございましたか?」

しばらく翔一郎は話を聞いていたが、

「分かりました、明日うかがいます」

といい電話を切った。

「陣内先輩、ちょっと仕事の急用が出来たんで、今日は失礼します」

急いでギャラリーを出ると近くの銀行で金を下ろし、済むと寺町通でタクシーを拾い、

「今出川浄福寺まで」

と指示した。

このときほど今日バイクでなくて良かった…と思ったことはなかったらしい。

(何が何やら、さっぱりわからへんやないか)

西陣に戻ると簡単な旅支度を済ませ、待たせてあったタクシーで次は、京都駅を目指した。

(なんでエマが、神奈川におんねん)

詳細も何もかもわからないまま翔一郎は手始めに新幹線の切符を買い、新横浜を目指したのであった。



警察署からの電話で聞いた通り、新横浜の駅で地下鉄に乗り換えると、まだ真新しい地下鉄の車輌はしばらく地上を走ったのち、地下へ潜って高島町の駅へとすべり込んだ。

(箱根を越えるのは)

確か中学の修学旅行以来であった記憶が、翔一郎にはある。

階段を登った。

改札口には翔一郎からメールを受け取った、慶と萌々子が先に着いている。

「なんやえらいことなったらしいなあ」

「済まんな巻き込んで」

翔一郎は詫びた。

「えぇねんえぇねん、昔からの付き合いやないか」

「ここからバス停一つ分ぐらい歩くけど、一本道やからすぐやで」

そういうと国道沿いの舗道を歩いた。

「それにしても、何でエマちゃん高島町におるんやろか」

慶には不思議で仕方がないらしい。

「これが中華街のそばの警察署なら、ああ道迷ったんやなで終わりやけど」

「そこがおれも分からへんのや」

翔一郎はことさら苦い顔をしてみせた。



銀行を過ぎた交差点の角に警察署はある。

「すんまへん、葛城エマの件で連絡いただいた者なんですが」

取り次ぎを頼むとロビーで三人は長椅子に座って待たされた。

しばらくすると、

「饗庭翔一郎さんですね」

わざわざ京都から来ていただいてすいません、と頭を下げながら、背広姿の男があらわれた。

「そちらは?」

「神奈川にいる友人です。道がよう分からへんかったもんで、ちょっと案内をお願いしまして」

背広の男は、

「じゃあご友人の方々は、こちらでお待ちください」

というと、翔一郎を別室の方へ通した。



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