「おや、おかえりなさい」

あずかり屋の引き戸を開けると、タタキに腰を下したあずかり屋が松本とイノリを出迎えた。左手で優雅に扇子を扇いでいる。

「ちょうど良かった。そこの煙草屋のご婦人から豆大福をいただきましてね。一人で食べるには多いなぁなんて思ってたんですよ。…あれ?どうしたんです、探偵さん。孵化する前の蝉みたいな顔をして」

「どういう顔だよ、そりゃ。人間でもねぇじゃねえか」

「そうですねぇ。百聞は一見に如かず。ご自分のお顔をご覧になったらいかがです?」

「するまでもねぇ。何年この顔と付き合ってると思ってんだ」

「さぁ、存じませんが?」

ああ言えばこう返す。まるで餅つきのように休むことなくリズムよく返答するあずかり屋。ここまでくるとむしろ…いや、やっぱりうんざりだ。言葉をなくして肩を落とす松本に、あずかり屋は呑気な笑い声を立てた。

「ほらほら、イノリさんもお上がんなさい。先に手を洗ってきてください。外から帰ったらまず、手洗いうがいですからね」

おそらくあずかり屋に言われるまでもなくイノリは靴を脱いで奥へと進んで行った。その迷いのない後ろ姿を松本が見送っていると、あずかり屋が言った。

「百聞は一見に如かず、でしたでしょう?」

松本は重い足を引きずるようにあずかり屋のすぐ横まで歩いて来ると、

「その話はもういいよ」

「イノリさんのことですよ。強いでしょう、あの子。ただ、ちょっと我慢がきかない所があるんですよね」

他愛ない世間話のような語り口のあずかり屋を見下ろすと、あずかり屋はあの能面のような顔を松本に向けた。

「探偵さんも早く手を洗ってきてください。ちと匂いますよ」

あずかり屋は扇子で口を隠すようにしながら言った。

「血の匂いが。」

扇子の向こうで笑ってやがる、と松本は言葉にはせず口端を歪ませた。




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