もう一度愛を聴かせて…
第5話 ふたつの心臓
二日後の同じ時間に中絶手術の予約を入れ、わたしは病院をあとにした。

それからの二日間、何を見ても何をしてても子供のことしか思い浮かばず……。とにかく人前で泣いてはいけないと、それだけを考えていた。


わたしのカバンの中には中絶の同意書がある。橘さんに、サインしてもらわなければ手術が受けられないのだ。

保護者でもいいって言われたけど、お父さんやお母さんに言えるわけがない。


優秀なお兄ちゃんやお姉ちゃんに比べて、真面目なだけが取り柄のわたしだった。

妊娠なんて知られたら、お父さんは怒り狂うだろう。相手は誰だって問い詰められるに決まっている。

本当のことを話したら、橘さんはクビになるかもしれない。

病院から戻ってきて、一度も彼に電話していなかった。会ってサインをもらわなきゃならないのに、どうしても連絡する勇気が出ない。

手術費用は貯金を下ろしたらなんとかなると思うけど。でも、これだってもし親にバレたら……。

考えなきゃならないことが山のようにあって、わたしはおかしくなりそうだった。


今、わたしの手の中に赤ちゃんのエコー写真がある。

連絡しなきゃいけないのに、しない理由の一番はこれだった。


わたしの中の小さな命……わたしと橘さんの赤ちゃん。あの、ものすごい勢いで点滅する心臓を見たとき、めちゃくちゃショックだった。

一日も早く中絶しなきゃいけない。何もかも、なかったことにしなきゃって考えていた。

でも今は、中絶しなくてすむ方法がないか、必死で考えている。


動いている心臓を止めるなんて……それを考えるだけで、わたしの心臓のほうが止まりそうだ。

どうしたら産んであげられるんだろう?

わたしの中はそれだけで一杯になっていった。


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