若と千代と通訳
結局どうしようもない(※いたい表現あり)


臣は海江田の運転するバンから降りると、五番倉庫へと足を向けた。
この港には八番倉庫まであるが、この五番倉庫が一番古く、一番奥に配置されている。
「頭、お疲れっす」
角刈りジャージ姿の須藤が、臣の姿に気付いて倉庫の入り口で頭を下げた。
倉庫から声は聞こえない。
「もう全員揃ってます。……あれ、志摩さんは?」
臣が答えないでいると、須藤はまじっすかあ、と間抜けな声を上げた。
「志摩さんいないと誰が頭の通訳すんです?」
知るか、との意味も込めて、臣は須藤の問いかけを無視して扉を開けた。
「ブツの場所は吐いたんですけど、梅沢連合の手のもんかどうか口割んなくて」
巨大なダンボールの塊を抜けると、高い天井から巨大なビニールのカーテンがかかっている。カーテンを抜けると、ぽつりと懐中電灯がひとつついていた。それが地べたに無造作に転がって、錆びたパイプ椅子を照らし出している。小さな懐中電灯だ。パイプ椅子とそれに座らされた男の足元だけ照らしている。男は裸足だった。両足の小指の爪がない。
粗末なパイプ椅子の周りには、四、五人の屈強な男達が立っていた。いずれも懐中電灯の灯りからははずれ、辛うじて靴が判別できる程度だが、臣には誰が誰だかよく解った。
臣と同様にスーツを着た男もいるが、紫のダウンジャケットを着込んだやつもいる。カーゴパンツを腰で履いて、チェーンをじゃらじゃらつけているような男もいる。ブルージーンズの男の血しぶきは、加工じゃなくて本物だ。洗うのが面倒で放置してたらとれなくなったと笑っていたが、そうそう殺しが日常でない一般人は気付かない。
「宮元、ばらしてあのブツ盗ったの、こいつです。死体はばらして山ん中捨てたって」
臣の後を追ってきた須藤が男の罪状を説明する。
宮元。
臣の舎弟だ。最近やっとくさい仕事にも慣れてきて、ここいらで大事な仕事任せてやると言われ喜んでいた無邪気な顔を思い出す。今この場に揃っている中でも一番若くてバカで単純で、可愛がられていた男だった。
宮元にその仕事を任せたのは、臣だ。
臣が革靴を履いた右足を持ち上げた。そのまま勢いよく、男の左足に振り下ろす。
足の甲の骨が折れて、ぽき、と華奢な音が鳴った。
男が悲鳴を上げた。痛みに仰け反った表紙に、バランスを崩して縛り付けられたパイプ椅子ごと後ろに倒れる。パイプ椅子のいいところは、簡単に吹っ飛ぶところだ。バランス悪くてすぐ壊れるが、そうして座っている椅子が不安定だと、座らせている人間にも妙な力が入って、わざわざ丁寧に嬲らなくても体力を奪ってくれる。
臣はひとことも話さなかった。
ひてえ、ひてえと鼻水を垂らしながら泣く男は、臣がなにを吐かせたいかとうに知っている筈だ。
パイプ椅子ごと転がって横向きになった男の腹に、臣の蹴りが入る。がしゃんがしゃんとコンクリートと椅子が擦れて、男は灯りの届かないところに吹っ飛んでいった。
臣がくるまでも、それなりの仕打ちは受けていた筈だが、手加減されていたのだろう。宮元をばらして埋めて、しかも悪趣味にも宮元の小指を冷凍庫に突っ込んでいたとかいうふざけたこの男をぶっ殺したいと思っているのは、周囲のやつらも同じだが、宮元に対して責任があるのは臣だ。近藤組の宮元に手を出して、あまつ近藤組のブツを横取りするということは、近藤組の大紋に唾を吐いたということになる。いくら相手はどこぞの組の下っ端とはいえ、頭たる臣が出てくるのは、臣は当然だと考えていた。兄貴である宇佐美はいい顔はしないだろうが。
須藤が無言のままの臣に、鉄バッドを手渡した。
パイプ椅子に縛り付けられたまま転がる男がそれに気付き、がたがたと震える。
コンクリートと金属音が擦れる音は、男の悲鳴に混じってやがて聞こえなくなった。


千代は小さな路地にいた。
職場である居酒屋ごんぶとからの帰り道、たまに通るちょっと治安の悪い通り。
いつもは通らないここを通ったのには、訳がある。
例によって例のごとく、アビゲールとカレンからお使いを頼まれたのだ。店じまいをしていたごんぶとに営業用のドレスで飛び込んできたかと思うと、目薬を買って来いとの仰せであった。
先日の臣に抱っこされたアビゲールの言いなりになってたまるかと当然抗議したが、連日連夜の深夜出勤は目玉を酷使するのだとわめき立てる二人に負けて、こうしてごんぶとを閉めてから買いに出たわけである。目玉が疲れるのはどう考えても、あの悪趣味なライティングのせいだと思うが、そこは突っ込まなかった。お人よしの自覚はある。日本人は外国人の押しの強さには勝てない。
というわけで、いつもならあまり通りたくないこの通りを選択したのは、マツモトキヨシへの近道だからだ。繁華街のメイン通りから一本外れたここは、店々の裏に面しており、ゴミ箱や裏口が連なっている。たまにダンボールに包まったホームレスやぶつぶつ独り言を言っているヒトがいらっしゃったりするので、普段は通らない。
ぽつぽつと灯る店の裏側の灯りは頼りなく、気付いたときには足早に駆けていた。
妙に目つきと顔色の悪い男数人とすれ違ったが、声を掛けられることはなかった。
(……臣さん、今日は来なかったな)
元々、常連組とはいっても毎日毎週くるお客さんとは違う。
頻度はまちまち。数ヶ月に一回のときもあれば、四日に一回はくることもある。来店するときは、必ず志摩を伴っているので、臣が単体でいるのを見たのは、祖父の葬式一度きりだ。
冷たい風がひゅうと吹いて、千代のジャケットの襟を割って駆けていった。
寒い。
その風に吹かれた前髪が持ち上がり、千代は臣の手を思い出す。
(臣さんの指も、冷たかった……)
あれは、一体なんだったんだろう。
無口な臣が、ああしてスキンシップを図ることなど一度もなかった。
たまに視線が合うくらいで、頷きもしなければ答えもしない。ジェスチャーなんてもってのほか。それが臣だった。
(わらってた……)
そんな臣が、前髪をそっと撫でて、更には笑みまで浮かべていた。
(なんなの、なんなのあれ)
あのあと、無駄に激しく鳴る心臓を押さえるのにどれだけ苦労したか。
どういう意図であんなことしたのか、どういう意味があるのか、もしかして意味なんてないのか。
大きな臣にしてみれば、千代など子供同然で、もしかしたら幼い子供にするような接触だったのか、とか。
美人なアビゲールを抱き上げられて機嫌がよかった、とか。
もしかして、好かれてたりする?とか。
考えても考えても答えが出てくるわけでもないのに、ふと思考に余裕ができるとそんなことばかり考えていて、千代はただひたすらぐらぐらしていた。
あの日から、もう一ヶ月は経とうとしている。
(卑怯だ……)
そしてその一ヶ月まるまる、姿はおろか気配すらない臣に、千代は振り回され続けていた。


「ぐえっ」

え?

どんっ、ガラガラガラッ……。
千代が狭い路地の前を突っ走ろうとしたときだった。
その闇色の路地から、小柄な男が飛んできた。走ってきたわけじゃない。文字通り、飛んできたのである。
そして勢いよく地面を転がり、向かいのラーメン屋のゴミ箱に突っ込んだ。
捨てられた麺や野菜くずにまみれた汚い姿に、思わず怯む。
どうやらまだ若い男のようだが、脱力した手元に小さなナイフが転がっていた。
その見慣れない凶器に、千代は硬直した。
「ってめええ、ふざけんなよオラ」
灯りの届かないその路地から、冷たい空気を震わせるような怒声が響いてきた。
しかしそのすぐ後に、ゴッ、と鈍い音がして静かになる。
「ひぃいいいっ」
千代が硬直して動けずにいると、路地からまた男が飛び出してきた。今度はちゃんと自分の足で走っている。悲鳴を上げてはいるが。
「てめえ覚えてろよ!近いうちぜってえぶっ殺してやっから、」
な、と続く筈だっただろう言葉は、路地から飛び出してきた長い脚に遮られた。
大層見事なヤクザキック。
顔面を蹴り上げられた男はえびぞりになって、先ほどの男と同じようにラーメン屋のゴミ箱に突っ込んだ。
ざり、と砂を削る音がした。
千代はおそるおそる、その暗い路地を覗き込む。
真っ暗闇で見えない――スラックスを履いた革靴以外は。
「うるせえぞ!誰だ、こんな時間によぉ!」
ラーメン屋の店主が怒鳴りながら裏口を開けて出てきた。
放たれたドアから室内の灯りが漏れて、スラックスの持ち主を音もなく照らす。
「……」
千代は、黒い眼にじっと見下ろされていた。
いつもはぴしりと整えられている前髪は、今日は少し乱れ、数本束になって顔にかかっている。無表情は相変わらずなのに、何故か獰猛な獣のような印象を持った。
肩で息をしているわけでも、睨まれているわけでもないのに。
眼に、色がない。

「臣さん」
千代は、気付いたらその名を呼んでいた。
こわいとか、なんでとか、そういったものを超越して、暗闇の路地に立っていた男が臣であったことに、安心していた。
前髪が乱れている以外は、いつもの臣だ。
グレーのロングコートに、黒のスーツ、よく磨かれた革靴、無表情。
「……」
それから無口なのも変わらない。
臣の背後には、ゴミ箱に突っ込んだ男達と似たような格好をした男がふたり転がっていた。
どちらも呻き声がするので、死んではいないらしい。
ラーメン屋の店主は、臣の姿を認めると律儀に頭を下げて店の中に引っ込んだ。
小さな灯りがなくなって、再び辺りは暗闇になる。
臣の姿も、また見えなくなってしまった。
「臣さん」
千代は足を踏み出して、臣に手を伸ばした。
一瞬、臣が怯んだように後ずさったが、それを無視してそのコートの袖をぎゅうと掴む。
そのまま路地から引っ張り出して、もう一度、確認するように臣を見上げた。
でかい。
相変わらずでかい。なんて素敵なくまさんなのか。
臣は、そんな千代をどこか戸惑うような表情で見ていた。
(臣さんだ)
間違いない。
暗闇から姿を現して、再び闇に飲まれてしまったせいか、そこに立っているのが本当に臣なのか、一瞬わからなくなってしまった。

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