異国のシンデレラ
「さっき話していたのは誰だ?」
「先ほど…ああ、ミス遠野の事でございましょうか?」
「ミス遠野?黒髪の東洋人か?」
「はい。我々が日本のお国訛りに困っておりましたらば、わざわざお声を掛けて下さいました上、通訳をして下さいまして」
「バックルームのシルバープレートは…」
「はい、ミス遠野のお部屋でございます」

上客にはゴールドとシルバーのプレートがルームナンバーに付けられる。一般客室にシルバープレートは珍しい。お忍びの有名人の類かと思えば、何て事ない一般人。
だがその容貌に目を奪われた。ビロードのような艶の黒髪、色白な肌に柔らかい笑みを湛えた表情…声を聞く事は叶わなかったが、きっと耳に付いたら離れないんだろう……。

「ウィリアム様?」
「…いや…ミス遠野に連れは?」
「お一人でございます。長期休暇を利用した語学力向上の為の渡英だそうで、ご自身は日本のデパートメントのカスタマーデスクに就かれているそうです」
「語学力向上?」
「ですがその必要もないほどの美しいクイーンズイングリッシュを身につけておいででしたよ。奥ゆかしい大和撫子を見た心地です」

支配人はこの上なくミス遠野を褒めた。この男は人を見る目は確かな男だ。まず間違いはない事だろう。

「ウィリアム様、本日はこちらにご滞在でよろしいですか?」
「…ああ、頼む」
「畏まりました」

我が一族はアールの爵位を持つ公爵家、ヴォルフ家だ。私はその跡継ぎ、ウィリアム・コート・ヴォルフ。このホテルは私が経営するものの一つ、インペリアルリーフホテル。上中階級層を取り込む名の知れたホテルだ。
偶然、ロンドンの父に呼ばれついでに足を運んだだけだが…願ってもない収穫を得た。
あの東洋の蝶のようなミス遠野…今日チェックインし、一週間分の宿泊費を前払いしている。ならば最低一週間はここに滞在するはずだ。この間に必ず接点を持ってみせる。
プレジデンシャルスイートに向かいながらそう考えた。

翌朝は早速、朝食の為にレストランに向かう。普段なら部屋だが、これからは目的がある。

「おはようございます、ミス遠野。夕べはよくお休みになれましたか?」
「ありがとう。快適でした」

運良く支配人と話す彼女を見つけた。

「ウィリアム様」
「ああ、おはよう」

支配人は目が合うと私に声を掛けた。

「ミス遠野、こちらは当ホテルのオーナーでございます」
「初めまして、ミス遠野…ウィリアム・コート・ヴォルフと申します。お会い出来て光栄です」
「久流美です。遠野久流美。私こそお会い出来て光栄です、ミスターヴォルフ」

手を取り、甲に口付けながら名を繰り返す。

「ミス遠野、今から朝食ですか?」
「はい。早めにと思いましたので」
「何かご予定でも?」
「観光に行こうと思っているんです。初めてイギリスに来ましたし、勉強も楽しみたいですから」
「なら私に案内させて頂けませんか?」
「そんな…とんでもありません」

遠慮なのか本当に嫌なのか…よくわからない。だが驚いている事くらいはわかる。

「ミス遠野お一人では心配ですし、初めてだと言うならなおさらです。私はこれから何日かはここに滞在しますから、よろしければ専属ガイドにして下さい」
「お忙しいお時間を頂くなんて申し訳ないです」
「私にも息抜きになります。私は郊外に住んでいましてね、ロンドンは久しぶりなんです。ミス遠野がよろしければ是非」

少し困ったように見上げていたが、彼女は柔らかく微笑んだ。

「ミスターヴォルフ、お願いしてもよろしいですか?」
「勿論、喜んで。では朝食に向かいましょう」

手を取って背中に手を添えてエスコートする。サラサラと髪が私の手の甲を撫でた。艶やかな絹が触れるような柔らかさをもっと堪能したい。

直接年齢を聞くのは失礼だ…しかし…一体いくつなのだろうか?確か彼女は日本からネットを使って予約をしているらしかった。うちのホテルでも年齢を問うのは……。

「レディ、こちら若干洋酒が含まれております。失礼ですがお年はよろしかったでしょうか?」
「ご親切にありがとう、二十五です」
「失礼致しました」

給仕はそう言って料理をサーブしていくと静かに離れた。思わぬところにも収穫はあるものだな。
東洋人は外見の印象と実年齢が伴わないイメージが強い。ミス遠野も二十歳そこらにしか見えない。
少し話をしてみれば、職業柄かしっかりしている事はすぐにわかる。親しくなった時、どんな顔をするのかが知りたくもなる。

「ではコースは私にお任せ下さいますか?」
「ええ、お願いします」

レストランを出ると、車を用意させて早速市内観光に向かう。特に建築物や美術に造形が深いわけではないと彼女は言うが、時折感嘆しながらいろいろと私に尋ねていた。


「今日はありがとうございました。一人ではこんなに効率よく見て回れなかったです」
「ご一緒出来て私も有意義な時間を過ごせましたよ」

夕食は市内のレストランに決めていた。彼女はカトラリーの扱いも美しく、とても品がいい。マナーもそうだが、対応から立ち居振る舞いまで見られる仕事のせいか、無駄や隙がない。だが私を立てる為かエスコートする隙は残してくれる。
エスコートを当たり前にさせるのではなく、されればその度に一言礼を口にする。素直なその一言に私は妙な満足感を得ていた。

「明日のご予定は?」
「ゆっくりショッピングをしようかと思っています。衣類は二日分しか持って来ませんでしたから」
「現地調達ですか。賢い選択ですね」
「あれこれ心配して詰め込むより、こちらに来てから気候と相談した方が楽ですし、いいものに巡り会えるかもしれませんから」
「仰る通りだ。でしたら明日は市内にあるモールにお連れしましょう」
「え?二日もお付き合いさせては申し訳ないです…ミスターヴォルフもお忙しいでしょうし」

やはり彼女の言葉からは真意がわからない。

「今日一日ご一緒させて頂いて、私にも心の洗濯が必要だと思いました。ミス遠野がお嫌でなければ明日もエスコートさせて下さい」
「ミスターヴォルフ…」
「単刀直入に言いましょう…私はあなたに興味がある。あなたをもっと知りたい」

困ったような表情の頬に朱が差す…なんて可愛らしいんだ。

「私なんて…」
「あなたのように魅力的な女性に会ったのは初めてだ。どうか…あなたと時間を共有させてくれませんか?」
「……はい…」

また柔らかく微笑まれ、このまま部屋にまで連れ去りたい気分にさせられた――。


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