異国のシンデレラ
「今すぐにだ。契約を取り止めて撤退させろ」

電話に出た秘書にそう言い付けた。
彼女が嫌がっていたにも関わらず、デリカシーの欠片もなく商品をその躯に押し付けようとするような従業員を雇う店など、私がオーナーを務める限りは許さない。あの男は彼女が私を呼んだその名に驚いていた。
それも当然の事だ。モールのオーナーが来るとは思っていないだろうからな。
彼女が時折難しい顔をしたり微笑む様を見ないようにしながらも、何を選ぶのかが気になって仕方ない。
日本には恋人もいる事だろう。彼女に選ばれた知りもしない男の存在が疎ましい。それを纏う肢体をその男が目にするのかと思うと、イギリスに滞在している間に奪ってやろうとも思う。

「…そうだ、今からすぐに撤退の指示を出せ、いいな?」

レジを離れる姿にすぐに話を終えた。本当は忙しいのではないかと勘繰る彼女に、取り繕うように当たり障りないながらも白々しい台詞で誤魔化す。

表情が曇ったように私を見ていた彼女が、慌てたように私を【英国紳士】だと言った。それは私の言動から生まれたのではないか、と。
人の往来や雑踏が一切聞こえなくなった…あの店で彼女を引き寄せた時に、このまま抱き締めてしまいたいと強く願っていた。髪の一房に口付けて、彼女を見つめたまま囁く。

「あなたの為なら…私は紳士にも、盗人にも…獣にもなれます」

正直な気持ちだ。紳士的にエスコートして、彼女を満足させたい。あわよくば日本にいるであろう恋人から盗人のように彼女を奪い、時と場合も選ばずに飢えた獣にもなり果てる…。

「…///」

慣れていないのか、硬直しながら頬染める姿に柄にもなく鼓動は高まる。

「…少し遅くなりましたがランチにしますか」
「ぁ…はい///」

小さく頷く仕草にも擽られる。そんな彼女の背中に手を添えて、私は彼女と歩き出した。


夕食まで一緒に過ごし、彼女を部屋に送り届ける。
私の部屋には秘書が待っていた。

「おかえりなさいませ」
「ああ」
「有意義にお過ごしだったようですね」
「ああ、そうだな」
「撤去が完了しました。すぐ次のテナントを募集します」
「次は日本に親のある企業を選べ。日本のCSはレベルが高い」
「畏まりました」
「…噂になっています…東洋人女性とランジェリー専門店にいたと」
「事実だが?」
「伯爵夫人が怒り心頭のご様子で電話を寄越されましたよ」

秘書のサイクス・トレマーは私の幼馴染で、私の暮らす私邸では執事も兼ねている。溜息を零しながら、母からの電話の内容を話し出した。
母は私に爵位ある家柄の娘ばかりを薦めてきた。何度騙し討ちの見合いを強いられた事か。どの令嬢も私の目を惹くどころか、嫌悪すらさせられた。いっそ男色の気があるならば楽だったかもしれないが、生憎そんな趣味はないようだ。
私には東洋から舞い飛んできた、美しい黒揚羽の事にしか興味がないのだから。
暫くサイクスの話を聞いていると、部屋に備え付けられた電話が鳴る。サイクスが受話器を手に取ると、相手の声に顔を顰めながら無言で突き出してきた。

『ウィリアム!』
「…もう少し静かに話して下さい。ちゃんと聞こえています」
『だったらそうされないようにして頂戴!東洋人と一緒だったって本当なの!?』
「ええ、それが何か?」
『どこの馬の骨とも付かない外国人なんて許しません!』
「私は相手くらい自分で選びます。そんなに相手の事が心配なら、検査でも受けてもらって結果を提出しましょうか?」
『そんな話をしているわけじゃありません!明日の昼、ミスフォーティアがそちらに行きます。きちんとエスコートなさい。未来の妻になる方ですからね』
「了承出来ませんし、会うつもりも全くありませんよ。おやすみなさい」

母の言葉も聞かずに電話を切り、すぐフロントに伯爵夫人からの電話は繋げないと断るように言い付ける。

「どうなさるおつもりです?」
「どうもこうも私の目的はただ一つ…東洋の黒揚羽だ」
「噂のミス遠野と言う日本人女性の事か…支配人から聞いた」
「…何としても欲しい…どうせ見合いするなら彼女がいい。日本には帰したくない」
「珍しい」
「何だ、サイクス」
「ここ何年も余りに枯れた生活をしていたからな…まだ性欲は残っていたのかと」
「…一目見て惹かれた…やはり人間は欲深いな…接点を持てば触れたくなり、触れれば全て暴きたくなる…そして全て手に入れたくなる」
「そうだな…」
「明日の朝はアポなしで彼女に会う」
「だが…さすがに三日はしんどくないか?彼女も一人にして欲しいだろうしな。何日か引いて様子を見てみろ。押すばかりじゃ脳がない」

サイクスの言葉に、それも確かにありだと考え直した。

「恋の駆け引きは万国共通のはずだ」

【恋】という響きに軽く違和感を覚えたが、それでも駆け引きに変わりはない。あとは彼女の反応を窺うだけ……。

彼女に会えないのは些か寂しいが、脈の有る無しはこれでわかる。時期尚早にも思えたが、こればかりは焦っても仕方のない事だ。

「じゃあ明日は奥様の言う通りにミスフォーティアに付き合うんだな」
「…致し方あるまい」

昼にこちらを訪ねてくる…一日最悪な時間を過ごす事になりそうだ。





翌日は部屋で朝食を済ませ、サイクスが持ち込んだ書類の確認に追われ、気付いたのはミスフォーティアがフロントにいると知らされてから。もう昼か…。

「ミスターヴォルフ、お待ちしておりました」

するりと腕を絡めてくる…やんわりとその腕を振りほどき、車を手配してくると断った。
観劇をしてティールームに行ったらさっさと送り届けるつもりでいた。夕食くらいはレストランに行けば彼女に会えるかもしれない。

劇場の前で降りてすぐ…黒揚羽を見つけた。こんな時に…と内心舌打ちしながら、姿を見れた事を嬉しく思っていた。
ふと…目が合った…喜々としたがすぐに反らされた。

黒揚羽の隣には男がいた…明らかに東洋人の…。親しげに微笑み合って、ロビーに消える。気になって仕方ない。思わず歩調も速まり、ミスフォーティアの存在も忘れてしまっていた。

「もう少しゆっくり歩いて下さらない?」
「…申し訳ない」

棘のあるその声に思ってもいないのに謝る。幸か不幸か彼女たちは一列前のシートに腰掛けた。

「久流美」

クルミ…男が彼女のファーストネームを呼ぶ。彼女は応えるように顔を上げた。やはり東洋人…同じ日本人なのだろう、日本語で仲睦まじく話し込んでいる。嫌でも視界に入るその姿…腹立たしくてミスフォーティアの話など耳にも入らない。ただ彼女の声をざわめきの中から探していた。


二時間…苦痛だった。時折顔を寄せ合い囁く二人の姿を目にするのは。脈がない事をまざまざと見せつけられた気分だ。
彼女らが立ち上がるのを見計らい、通路で嫌でも顔を合わせるように立ち上がる。

「ミス遠野」

「ぁ…ミスターヴォルフ…奇遇ですね」
「ええ、そちらは?」
「糸井和明です。ミスターヴォルフ」

差し出された手を軽く握りシェイクハンドする。訊きたいのは名前ではない。

「和明、お邪魔しちゃ悪いから」
「ああ、じゃあ」
「ミス遠野!」

背を向けようとした彼女を呼び止める。

「これからティールームに行くんですが、ご一緒にいかがですか?ミスター糸井も」
「俺は構いません」

ミスター糸井の返事に彼女はまた困ったようにしたが、気にせず先を歩き出した。隣ではミスフォーティアが不服そうに私を見たが構うものか。元々あり得なかった事だ。ありがたいと思われて然るべきなのだから。


「ではこちらへは旅行で偶然?」
「はい、久流美とも偶然市内で。今から観劇に行くと聞いたので便乗しました」

ハイスクールの同期だと言うには仲が良すぎる。彼女から訊かずにオーダーをし、昨日まで私がいた場所に彼がいる…それすら許せない。

「ミス遠野、これからのご予定は?」
「え?」
「私はホテルに戻りますのでお送りしますよ?先にミスフォーティアを送りますから」
「え…?ミスターヴォルフ!?私は…」
「秘書の持ち込んだ書類が事の他溜まっていましてね。ミスター糸井もよろしければ滞在先までお送りします」
「じゃあお言葉に甘えます」

彼の承諾で彼女も迎えに来た車に乗り込んだ。

「次はいつお会い出来ますの?」
「予定詰まりで申し訳ないが未定です」
「ではせめてお茶だけでもご一緒に…」
「また機会が有れば」

まだ何か言い掛けたが、聞こえない振りで運転手に指示をした。ミスター糸井の滞在先は郊外の小さなホテルだった。

「じゃあ…またな、久流美」
「うん」
「わざわざありがとうございました、ミスターヴォルフ」
「いえ、では…」

漸く彼女と二人きりになれた…。

「…ミス遠野」
「はい…」

外ばかり眺める彼女がやっとこちらを見た。

「今夜…お時間は?」
「いえ…あの…」
「…私の事が…お嫌いですか?」
「そういうわけでは…」
「ならば私を見て下さい…」

視線が絡まない…それに胸が痛む。こんな痛みがあったのかと、彼女を責め立てるような言葉を飲み込んだ。

「…ミス遠野…お願いです」

絡んだ視線が困惑を示している…嫌悪ではなく困惑…。

「あなたとの時間を確保する為なら睡眠時間も惜しくない…あなたの時間を私に頂けないだろうか?」
「…ミスターヴォルフ…それは私にではなく先ほどの…」
「あれは押し付けられただけで私とは何の関わりもない。私が望む相手でもない」
「っ…」
「私が何より望むのは…あなたとだけ過ごす時間だ」
「お仕事が…」

私には押す事しか出来ない…引く事は出来ない。駆け引きなど…出来なくていい。

「あなたとの時間を得る為なら、睡眠も食事もいらない」
「そんな…」
「ミス遠野……私ときちんとお付き合いして下さいませんか?」
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