異国のシンデレラ
ついにチェックアウトを迎えた。ホテルのスタッフに惜しまれながらも、クルミは笑顔でホテルを後にした。
サイクスの運転でクルミが見たがった史跡を見て回りながら、現地の郷土料理でランチを済ませた頃だ。

「ウィリアム、天候が思わしくない。一時間足らずで吹雪き始めるぞ?」
「いや…クルミのホテルに向かってくれ」
「正気か?ミス遠野のホテルまでまだ軽く二時間はかかるぞ!?それまでには周りの景色も目標物も失うほどの銀世界だ」

確かにそうなってもおかしくない窓の外の景色だった。

「彼女の無事さえ確保できれば問題ない」
「俺たちはどうする?今ならお前の私邸まで吹雪出す前には着ける」
「彼女を無事に送り届けるのが先だ」
「……まぁこれは寒冷地仕様だから凍死する事はないがな」
「吹雪って……」

だが…本心を捨て置いてでも、早く彼女を送り届けなければならない。

「このままだと一時間以内に雪が降り出して、吹雪出します」
「一時間で…?」
「サイクス…黙って走らせろ」
「ミス遠野の宿泊予定のホテルは山間の小さな集落にありますから…まだ二時間は掛かります」
「二時間も…かかるんですか?」
「サイクスっ」

不安を煽る事ばかりを口にするサイクスに思わずバックミラー越しに睨みつけていた。

「ええ、そうです。我々は慣れた気候ですが、ミス遠野には些か厳しいでしょうから。あなたの事と我々の事を考えると、暫く入った先にあるウィリアムの私邸で吹雪をやり過ごした方が、私は得策だと思うんですがね」

それも構わず口にするサイクス。クルミは不安げにこちらを見やる。

「気にしなくていい。君は自分の心配だけしていればいいのだから」
「…でも…帰り…心配ですから…ご迷惑でなければ…寄らせて下さい」
「………」

クルミが私を心配してる…しかも私邸に寄りたいなど……。

「ぁ、あの…やっぱりご迷惑、ですよね?」
「いや、君さえよければ是非来てくれないか?」
「お邪魔じゃ…?」
「出来れば君を招きたいと思っていた…私の招待を受けてもらえるか?」
「はい」

クルミの同意を得て、サイクスは私邸に向けて車を走らせた。喜びを感じながらも、酷く不安になっていた。
私邸は完全な私のテリトリーだ。蜘蛛の巣に黒揚羽を誘い込むに等しいと言うのに…。


曾祖父が曾祖母と婚約した際に夫妻で老後を静かに暮らす為に建てられた小さな城は、曾祖父から受け継いでいた祖父が成人する私に譲ったものだ。私は内装や調度がいたく気に入り、メインの居住地として今も暮らしている。ロンドンに別宅もあるが、そちらには年に居ても三日あるかないかだ。
中世を模した造りに文明の利器の姿はあまり見えず、燭台に明かりを灯し、繊細かつ美麗なシャンデリアも蝋燭がその美しさに彩りを添える。
正面の階段を上がった先には、自然の光を取り込める広いダンスホールがある。蔵書を余すところなく収納した図書室や城には珍しい円卓のある食堂、客室は少ないがどの部屋にも天蓋付きのベッドが配置されていた。

予想より早く雪がちらつき始め、私邸に着いてすぐに吹雪に変わった。
窓の外を眺めながら、感嘆の息を漏らす。

「…すごい雪……」
「山の天候は変わりやすいと言いますからね。それは万国共通ではありませんか、ミス遠野?」
「聞いた事はありますが…山の方で暮らした事はないので…」
「ここは私の私邸で、ほぼ一年…仕事や諸用以外で出る事はないんだ」
「蝋燭で火を灯すなんて…何だかすごくロマンチック」

壁の燭台に灯された蝋燭の揺らめきに、うっとりとした表情で見上げている。気に入ってもらえたようだ。

「文明の利器は見えないようにされているが、基本的に照明はこうして蝋燭で賄われているんだ」
「…素敵……」

ぐるりと見渡してクルミは嬉しげに微笑んだ。

「ウィリアムの部屋は常に暖めているが、他の客室は暖めるのに時間がかかる。ミス遠野、暫くウィリアムの部屋で暖を取ってくれますか?」
「そうか…クルミ、少し我慢してくれるか?」
「ええ」

私はまたクルミをエスコートして部屋に向かう。


主寝室のある私の部屋は暖炉に火が入れられ、温もりに溢れている。
「ここが私の部屋だ…ここも明かりは蝋燭だけなんだ」
「天蓋付きのベッドに燭台、蝋燭なんて…まるで童話の世界みたい」
「クルミ、その童話の世界を体験してみるかい?お姫様のように」
「え?」
「さぁ…こっちへ」

驚いたような表情のクルミの手を取って、曾祖母の衣装部屋に足を踏み入れる。手入れが行き届いている為、半世紀経った今もドレスは美しい状態で保存されている。

「曾祖母の物だが、サイズが合わなくて誰も着れず終いなんだ。君なら着れるはずだ」

数ある中から、曾祖母が好きだったシンデレラをモチーフに作られた純白のドレスを選び出す。

「着てご覧?君によく似合うはずだ」
「そんな…勿体なくて着るなんて……」
「着なければ意味がない…朽ちていくばかりだ。君がこれを着た姿を見たい」
「でも……」
「クルミ…見せてくれないか?」
「……ぁ」

少し押せば困ったように私を見上げる。

「部屋に戻ろう。外にいるから着替えたら出てきてくれ」

クルミにドレスを持たせて部屋に押し込んだ。きっとよく似合う…童話絵本に出てくるプリンセスよりもずっと美しい姿で。


ゆっくりとドアが開いて目に飛び込んだ姿に絶句した……。

「…美しい……やはりよく似合ってる」
「恥ずかしい…」
「おいで…もっとよく見せて」

手を引いてドアで隠れていたクルミを引っ張り出す。

「何だか…変な感じで…私…」
「とても素晴らしいよ、クルミ…」

そのままダンスホールへと連れ出した。月明かりはないが、燭台の仄かな明かりが幻想的に照らし出すホールに立つ。
隅に置かれていたレコーダーを操作して、流れ出すのはワルツ。

「姫君、一曲お願い出来ますか?」
「私、ダンスは…」
「大丈夫…私に身を任せて」

腰を抱いて流れるようにステップを踏む。戸惑いながらもクルミは私に任せるように足を動かす。

「センスがいいね、もう踊れているよ」
「あ…ありがとう」

頬を赤らめて微笑むクルミと、吹雪の魔法のお陰でこんな風に過ごす事が出来る。外の激しい吹雪とは裏腹に、穏やかに甘やかに時間は流れている。ステップを覚え始めたクルミは、優雅に笑みを湛えながらさながら蝶のように舞う。
私の腕の中で……美しく…愛しく。
音が止んで、私を見上げたクルミは華のように笑った。

「クルミ…愛しくてならない…君が」

頬を撫でて額に口付け、ゆっくりと唇を重ねた…その温もりに、私の【紳士】の皮は剥がされ、頑丈だったはずの箍は外れてしまった。





強引に…クルミの全て暴いて晒して…戸惑い考える隙も与えずに、溶かしていく。私とクルミを包む雪の魔法だけは溶かさずに、クルミだけを溶かす…。

「クルミ…愛してる…君だけを愛してる」
「ウィリ、アム……っ…ウィリアム」

熱に浮かされたように呼ばれる名に歓喜した。甘く淫靡な囁きも吐息も喘ぎも…何もかもが私のものだ。
眼下に広がる儚く乱れる姿は何よりも美しい。

狂ったようにクルミを穿ち、悦楽滲み縋り付く姿に、いつしか獣になり果てていた自身を自覚しても、押し止める事もしなかった。

「愛してる…君を愛してる」
「っウィリアム……ゎ、たし…っ」
「クルミ、愛してる…愛してる」

囁き続けた言葉はクルミに深く浸透していた。

「ぁ……」

小さく吐息に混じって聞こえたクルミの愛に、私はクルミの全てを…出会って七日の愛しい東洋の黒揚羽を……。

「私も…君を愛してる…愛してるよ」

手にした――。

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