【実話】最愛の魔物
まえがき
その日、私は吉祥寺の伊勢丹裏で泣いていました。
 仲の悪い兄から、人生で初めて電話を受けて
 『お前は本当に信じられないほど自分勝手で、酷いやつだ。我が家で起こっている問題は全部お前が悪い。もし今、家を出ると言うなら、一生家族じゃない。もちろん、部屋の保証人なんかには絶対にならない。』というようなことを言われました。何度泣きすがってもその判断が覆る事は無くて、ついに電話は一方的に切られました。それから、私が何度電話しても、彼が電話に出る事はありませんでした。

 その時、私は電話に出るために、夕食を食べていた伊勢丹地下のカフェから出て、伊勢丹裏まで歩いてきていました。そこでわたしは塀の隙間に座り込み、しばらくぼんやりと泣きながら、
 『だとしたら私の人生終わったな。』と思っていました。行くところも無いし、帰るところも無いし、大切な家族も居ないし、愛すべき人も、自分を愛してくれる人も居ない。そう思って泣いていました。

 別に、死んでもいいな、と思って、死んだら、家族はちょっとは私もいいやつだったと、思ってくれるだろうかとか、父親はどう思うだろうかとか、私が死んだと聞いたら、帰ってくるだろうかとか、考えました。自分が死んだ後に、両親が少しは話し合って、ちょっとは仲良くなるだろうか、と考えました。
 いつも、底抜けに明るいばかりの私が吉祥寺で自殺したら、会社の人達はどう思うだろうかと思って、悩みとかなさそうに見せてるやつが、実は一番面倒くさいんだという事を、彼らは学んでくれるかしら、とか思いました。

 それで、技術職の私は、鞄の中には一式文房具が入っていますから、カッターを出して、久しぶりに手首に当ててみました。こんなところで血を流して倒れていても、きっとしばらく気づかれないだろうな、本当に死ぬだろうな、とか、伊勢丹の人にはとても迷惑だろうな。とか考えて、でも、刃をスライドさせる事が出来なくて、ぐぐっと手首に押当てて、泣いていました。

 カッターの刃は結構痛んでいて、手首に押当ててもあまり切れませんでした。まっすぐ、くっきりした痕がつくばかりなので、今度は、先端でぐいっと手首を1本引っ掻いてみました。多少の痕がついたけど、血が出るには至りませんでした。

 きっと、こうやって悲しい事があって衝動的に手首を切る人は、痛みとか感じないくらいアドレナリンが出てるんだろうな、と思うと、自分は手首を切る資格すら無いんだろうと思って、また涙が止まりませんでした。


 しばらくたって、やっぱり死ねないな、と思って。じゃあ何か違う方法で死んだ方が良いだろうか、と思うと。いや、今、私の人生が一度終わったんだとしたら、もう何も怖い事無いじゃないか。と思い直しました。私は昔から、自殺するときは、死ぬ前に世界一周しようと思ってましたから、この時も自分に『今死ぬのと、仕事やめて世界一周するのと、日常に戻るの、どれがいい?』と聞いたら、自分が『進めるところまで、進もう』と答えました。

 だから、私はカッターをしまって、涙を拭いて、家に帰る事にしました。
 もう一回死んだから、何も怖くないんだと自分に言い聞かせながら。
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