【実話】最愛の魔物
最愛の魔物

最初にキレた記憶

母が最初にキレたのは、多分私が小学校1年生くらいの頃だったとおもいます。
 その頃、4歳上の兄が中学受験の勉強を始めていたので、おそらく、兄が勉強しなかったとか、多分そういう事だったと思います。
 
 その日は確か土曜日か日曜日の、学校の無い日だったと思います。いきさつはほとんど覚えてないのですが、とにかく怒った母が、居間にあるおもちゃやなんかを、全部庭に投げてしまったのでした。
 投げているところは私は覚えていなくて、でも兄は泣いていたような気がします。私はなんだか目の前で起こっている事に実感が持てなくて、なんだかぼんやりそれを見ていた気がします。
 すっかり居間のおもちゃを庭に投げてしまった母は、多分、部屋から出てどこかに行ってしまったんだと思います。残された兄が、「見てないで片付けろよ」みたいな事を言って私に怒ったような気がします。私は兄とそのおもちゃを拾い集めながら、こんな風に怒られたのが自分でなくてよかった。と思った気がします。


その当時、私の家は、どちらかというと、平均より裕福な家だったと思います。
父は、ちょっと知られた会社で、コンピューターの開発とかをしていたそうです。私が物心ついた時には父は一軒家を建てて、私はその広い家で何不自由無く育っていました。身体を鍛えるのが好きな人で、背が高い割に痩せている人でした。
 母は音楽をする人で、家ではいつも楽器の稽古をしていました。専業主婦の母を、幼い頃の私は奇麗な人だと思っていましたし、教養もあるようでした。

 大きくなってもずいぶん色々な人に私は、何不自由無く育てられた子供だろうと、言われましたけど、多分それはこの頃に培われた性格なんだろうと思っています。


 私が8歳くらいの時に、父の父親が死にました。
 私の両親は、父方が会社を経営するハイソな方なのに対して、母は、若い頃に自分の父親を亡くしていて、短大出の姉の稼ぎで大学を出ていました。自分でも、あまり良い家の育ちではないような事を言っていました通り、父側の両親の受けが悪かったそうで、どうも駆け落ち同然に結婚したような事を聞いた事があります。それで、私は祖父の葬式で、初めて父の家族に会う事になりました。
 父の母親はずいぶんよくしゃべる人で、横柄で上から目線の人でした。彼女に会いにいった後、父はいつも頭痛を抱えて帰ってきました。
 
 その頃から母は、私にも父に同情的なことを言うようになりました。父が、自分の両親をどのくらい嫌いなのかどうか、私に話すようになって、私は、自分は運がいいなと思っていました。

 私自身は、産まれたときからちょっとドライな子供だったそうで、抱っこすると眠れない赤ん坊だったそうです。園児の頃はよく喋って、いつも泣いている子供でしたが、小学校に上がる頃には、いつも家出したいと思っていた事を覚えています。でも、それは別に何か大きい不満があった訳ではなくて、心の中に大きな衝動があって、今のままの世界で満足している訳ではないんだと言う気持ちだったように思います。
 今のままの世界をどうこうするというより、私は、今自分が生きている世界の全部を、なにか画面の向こうから見ているような子供でした。どんな人と話していても、どんな場面に遭遇しても、あたまの中がぼんやりして、世界が遠近感を無くしていく瞬間がありました。自分にどんなことが起こっても、それを自分の事として実感を持てずに居ました。そういう子供でした。

 
 私が11歳くらいのときに、父がちょっと大きな事故にあいました。私は、中学受験のための塾から戻ったところで、その時お向かいに住んでいるおじさんが、走ってきました。「お父さんが出先でバイクで転んで、病院に運ばれた。お母さんは連絡があって病院に行った。」私はその時友達と一緒で、これは、今でも悔いている事ですが、「へえ、そうなんだ。」と、そのくらいの反応でした。私の父は750ccのバイクに乗っていて、エンジンから改造するくらいのバイク狂いで、毎週末にバイクで出かけては、多少転んでけがをして帰ってくる事がしょっちゅうでした。
 だから、友達が「大丈夫?」と言っても、私は「よくあることだから」と言いました。

 結局父はその事故の後、数ヶ月入院しました。肋骨が全部折れてしまい、肺にも穴があいていました。
 何度か手術をしながら、徐々に自宅の近くの病院に転院してきました。でも、最終的に全部の肋骨が、ずれてくっついてしまいました。

 父は家で、会社の話を全くしない人だったので、その事件が父の会社での立ち位置にどんな影響を与えたのかわかりませんでした。でも、それから数年経たないうちに、父は本社の開発職から、工場へ異動になり、そして単身赴任になりました。
 大人になって考えてみると、その頃の父は大変だったはずでした。でも私には自分の中学受験が迫っていて、毎日母が勉強させるので、私がそれに思いを馳せる事はありませんでした。
 
 それとまただいたい同じぐらいの頃に、今度は私の病気が見つかりました。背骨が少しずつ曲がっていく病気で、原因は不明ででした。生活に支障はないですが、酷くなると外観が悪くなったり、身体のあちこちが痛くなる可能性がありました。
 母は私の病気が明らかになると、ずいぶん自分の責任を感じているようでした。私は、日数の少ない塾に移って、週に1度は整体に通うようになりました。整体の時間になっても私が小学校から帰ってこないと、母は自転車で私を捜しまわりました。通学路を歩いている私を怒鳴りつけて、引っ捕まえて連れて行きました。この頃ではすっかり、小学校の友達の間で、私の母親がとても怖い人だと噂になっていました。

 私は相変わらず、自分の事にしか興味が無くて、その時家族がそれぞれどんな気持ちだったのか、考えても居ませんでした。父は、たまにしか帰ってこないけど、それでもまだ優秀で男前な、私の憧れでした。兄は、なぜかとても荒れていました。家では、両親には逆らいませんが、夜な夜なギターを持って出かけていきました。両親が居ないところで私をいじめるので、私は兄をとても恐れていました。
 母は、小さな理由で怒りやすくなりました。私の勉強の事だけではなく、私に姿勢を良くしろと言い、私が姿勢を崩して座っていると「自分はお前の健康をこんなに思っているのに、どうしてお前はそれに従わないのか」と大きな声で怒鳴り散らしました。母は、そういっている間中とても姿勢が悪かったから、私はずいぶんな理不尽さを感じていました。

 

 
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