愛しい太陽
5
「は!?今からですか!?ちょっと急すぎます!」
「社長の侍従の方もお待ちだ。とりあえずパスポートだけあればいい」

専用機が日本を離れてからまだ二時間にもならない。秘書課長が陽菜に、シャーラム行きを伝えたのだ…副社長命令で。

『ヒナ様』
『アリーさん…計画的犯行は罪が重いの知ってますか?』
『存じ上げません。サイード殿下妃ミツキ様は婚儀の日取りも決まり、これからは準備などで我が殿下に付いていられる時間がございません。代わりを務めて頂けるのは、ヒナ様だけです』
『そうじゃなくて…』
『ご自宅へパスポートを取りに参りましょう』

押し込まれるように乗せられ、滑り出した高級車。陽菜の自宅前で停まり、陽菜を降ろしてアリーも後に付いて行く。

『パスポートと普段の手荷物だけで結構ですよ』
『わかってますよ、わざわざ付いて来て下さらなくても』
『アズィール様の大切な方に何か遭っては困りますから』
『心配しすぎじゃありませんか?』
『おかしな輩に触らせるわけにはいきません』

アリーは以前の事を言っているらしい。アズィールにするように、ヒナの斜め左側を一歩後ろから付いて行く。

『ヒナ様の身を守る事が至上命題ですので』
『他に仕事もらえないんですか、アリーさんは』
『今、私は侍従に付いて以来、初めて…最も重大な役目を任されているんですよ』

そう言ったアリーは口元が緩んでいるように見える。

『入ってもいいですよ』

アリーに声を掛けて部屋に上がる。パスポートを手にすると、それをアリーが預かるらしく、手を差し出されたので渋々預ける。ふとドレッサーが目に入り、つい先日まで使っていた香水が目についた。迷わずごみ箱に放り込むと、バニティバッグに化粧品類を詰める。

『必要な物は本国でご用意致しますから』
『駄目駄目。使いやすいものとか、気に入ってるものとかあるんですから』

結局、スーツケースに荷物を詰める事になった。

『ついでに寄りたいところがあるんです』
『仰って頂ければ参ります』

スーツケースを車に積み込んで、陽菜の案内で向かうのはチェリーポールだ。陽菜も美月も愛用のブランドで、結婚祝いはここにすると決めていた。
まだシャーラムに出店はないので、あちらでの生活に不便だろう。
美月のサイズの下着を一週間分と夜の営みに刺激を与えるベビードール、夏でも蒸れないストッキングや制汗対策の小物など、両手で抱える程の量をラッピングさせている間に、自分用の下着やストッキングなどを買い込む。
 アリーは女性客だらけの店内で何の抵抗もなく、陽菜の荷物持ちをしていたが、どうやら日本人が慎み深いのは外側だけで、その内側はとんでもないのだと知る。四方やこんな経験をする事になるとは思いもしなかったが、これからを考えれば必要な事だ。

 空港には専用機が待っていた。

『あの鷹の印はシャーラム王家の?』
『あれはアズィール殿下のものです』

鷹が獲物を狩るが如く大きく両翼を広げ、嘴には半月刀を銜えている。その脚も鋭い鉤爪で獲物を掴もうとしているようだ。

『香り以外にも個人のものがあるのね』
『継承権第一位ともなられると、何にしても特別です』
『大変ね』

他人事に呟いて、陽菜は専用機に乗り込んだ――。




『うっわぁ~…砂、砂、砂!砂まみれ!』
『砂漠ですので』
『砂漠なんて実物初めてだもん。精々映画よ』

専用機内では十数時間、まともに眠れずでナチュラルハイに近い状態だった。SUV車に乗り換えて、道どころか案内板もない砂漠をひた走る。王太子宮には専用機と同じ印がある。銃器を構えた兵が立つ巨大な門を潜り、車を降りる。空港よりは高い塀のせいか若干熱風は緩んだが、ジリジリと照り付ける太陽は容赦がない。

『ヒナ様、中へお早く』

急かされて宮殿内に踏み込むと、風は一変。熱の感じられない涼やかなものに変わる。

『アズィール殿下がお待ちです』

その名に胸が騒ぐ。彼が日本で別れてから一日も経っていない。機内ではうつらうつらするたびに、居もしない優しげなバリトンが陽菜を呼ぶせいで、全く眠れていない。しかもここは焼けた砂の匂いに混じって、アズィールの香りがする。先導するアリーに付いて奥へと進むと、途中に見慣れない印を見た。アズィールの鷹の印…その鷹の鉤爪が金の棘で雁字搦めにされた円を掴んでいる。部屋の用途によって様々なデザインになるのだろうか…そんな認識でしかなかった。


王太子宮の使用人たちは一様に陽菜を見るや跪いたり、深く深く頭を下げる。秘書如きに周囲からそうされるのはさすがに居た堪れない。漸く着いた扉にも、先程見た印がある。

『アリーさん、この印何て言うの?』
『アズィール殿下の新たに出来たばかりの印で、鷹に金棘搦めの太陽です』
『この丸は太陽だったんだ?』
『さ、左様です…』

アリーはすっかり呆れ返っていた。天衣無縫とは聞いていたが、これを見ても何も感じないのかと。

「アズィール殿下、只今戻りました」
「入りなさい」

聞こえたアラビア語は柔らかなバリトンで、間違いなくアズィールのものだ。

『よく来たね、ヒナ』

中には数人の民族衣装の男たちとアズィール。人目も気にせず腕を広げて陽菜を包むと、その場にいた男たちがまた、陽菜に深々と頭を下げた。

『白々しい…計画的犯行は罪が重い事を知るべきだわ』
『また手厳しいな、私のヒナは』
『出張なら最低一週間前に言って頂けませんと、対応致しかねます』

ふと秘書の顔をした陽菜だが、急な出張が不満なのか営業スマイルすらない。

『だが私のヒナは来てくれただろう?』
『だから計画的犯行なのよ、アリーさん残して行ったくせに』
『アリーにはいろいろ用を頼んでいたからね』
『重大な罪だわ』
『それならヒナも罪人だよ。私の心を鷲掴みにして奪ってしまったんだから』

甘く気障な台詞に蟀谷が痛い。どうしてこうも平気なのか。

『アズィール王子殿下…仕事をなさいませ』
陽菜はアズィールに抱き締められたままで、整然と答えている。
『再会を喜ぶ隙もくれないのか、ヒナ?』
『再会を喜ぶも何もまだ一晩も経ってません』
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