徹底的にクールな男達

7/10 上客の思惑



 ……何という表現が適当なのだろう。

 後藤田 龍二(ごとうだ りゅうじ)は秘書が運転するロールスロイスの窓から夜の街をちらりと見た。次いで、腕のロレックスが8時半であることを確認し、私用のスマートフォンを胸ポケットから取り出す。

 相手の社用携帯番号を検索し、すぐに発信ボタンを押した。出る確率は五分五分。コールの間、待つ緊張を感じさせる相手は今や、この女くらいだ。

『はい、麻見(あさみ)です』

 背後が騒がしい。それだけで、頬が緩んでしまうから不思議だ。

「……今日は出社のようだな」

『いえ、本日は用で偶然店におりまして……。もしかして、今からご来店でしょうか?』

 先を読んでくれたことに、更に機嫌がよくなるのが自分でも分かる。

「ああ、欲しい物があってな。急ぎではないが、できれば君に選んでもらいたい」

『さようでございますか……かしこまりました。それではあの、本日は出社日ではありませんので私服ですが、準備してお待ちしております』

「悪いな、あと10分ほどで到着する」

『いいえ、とんでもございません。ご連絡ありがとうございます。では、お待ちしております』

 相手は緊張しているようだ。それが声で伝わる。自然で素直だが少し震えていた。

 ただの業務連絡ともいえる会話。ただの、客と家電量販店の店員との会話。

 なのにそれだけで、こんなにも興奮させてくれる。

「社長、渋滞にひっかかりました。10分後の到着は無理かと……」

 運転席の秘書の声は非常に苦しそうだが、それも、この時ばかりは救ってやれる。

「ああ、少々構わない」

 少しくらい遅れて行って当然という態度で充分だ。何せ、相手はただの店員。

 贔屓にしている店員、というだけなのだから……。



 家電量販店ホームエレクトロニクスの桜田店(さくらだてん)は中規模店舗として建設されてから5年になる、地元に馴染んだ量販店だ。ただ、他会社の量販店と圧倒的に違うのは、安売りをしないという点だった。

 ホテルのような豪華な内装、高い天井、広い展示スペース、豪華な演出。黒の清楚なスーツを着た従業員の態度はホテルの接客そのもので、顧客満足度を追い続けているブレない会社として全国的に店舗数を増やしてきていた。

 右肩上がりの成長を続けて株価も上がっている中、他社と合併という少々信じがたい情報が入ったため、興味を惹かれた後藤田は直接店に足を運んだのであった。

 普段家電量販店などへの買い物はもちろん全て秘書に任せている後藤田は、仕事の合間を利用し、自宅から少し離れた桜田店に寄った。他の仕事の絡みなどがあって10時の閉店間際にその店の側を通った、ただの偶然だったのだ。

 そこで、惹きつけられたのは。

麻見という名札をかかげた1人の女であった。
 
白い肌は透き通り、長いブラウンの髪の毛は前髪と一緒に後ろで丁寧に1つに束ねられている。

 全体の雰囲気は黒のスーツで隠しきれないほどの特別なオーラが放たれており、そこだけがまるで別世界のように時がゆったりと流れていた。

 おそらく、数秒見とれてしまっていたに違いない。

 商品をフックにかける作業をしていた麻見はこちらの視線に気づくと丁寧に頭を下げ「いらっしゃいませ」と営業スマイルを見せたのだった。

 その、長い睫とピンクの頬、赤い唇は見事に均整がとれ、にこやかな笑顔はパーフェクトとしか言いようがない。

「あの……」

 すぐに作業に戻った麻見を呼び止め、更に近づいたのは無意識だった。

「はい」

 麻見はすぐにこちらをまっすぐにとらえてくれる。手にはまだ商品を持ったままだったが、接客優先というスタンスを見せつけるかのように、客であるこちらを柔らかな表情でじっと見つめた。

「……、良い商品を探しているのだが」

 何も買う予定でなかっただけに、咄嗟にその言葉しか思いつかなかったのだから仕方ない。だがそれでも、言葉足らずな客の言葉にも、麻見は「はい」とすぐに手の中の商品を棚に置き、少し前に立って先を歩き始めた。

 その、受け入れがたい魅惑的な出会いから3か月。購入した商品の総額は、個人の私物のみならず会社の備品も含め裕に一千万を超える。

 1人の、たかが店員と会うために。話をするために……。

 自分でも目が眩んでいると思う。

 その気にさせて店を辞めさせ、手の内に収めておくことは簡単だ。だがそうはせず、こんなまどろっこしい方法を取り続けているには理由があった。

 じっくりと攻め入って物にしたい。

 手中に収めるだけでなく、性格、性癖、あらゆる質を自分好みに変えて、物にしたい。

「到着致しました」

 秘書の声に我に帰り、表情を整える。秘書によって開けられたドアから出た後藤田は、まっすぐ入口に向かい、ピロティ前の階段を登った。

「お待ちしておりました」

「…………」

 いつもの制服とは違う私服に、思わず目を見張った。

 白い半そでのカットソーにはアクセントで金メッキのような安物のファッションネックレスが、下は黒いタイツの上にショートパンツを履いており、ファッション雑誌から出てきたようないつもとは違うその風貌が珍しくて、思わず俯いてにやけ顔を隠した。

「すみません、このような恰好で……」

「いや、構わない」

 麻見は心底申し訳なさそうな顔をしたが、後藤田はそんなこと、本当にどうでも良かったので意のままを話した。

 もちろん麻見は、衣服は変わろうとも態度はいつもと変わらず一歩先へ歩き始める。

「……適当に家電製品一式をそろえて欲しい」

「はい。……適当に、というのは少々難しいですが……。予算や使い道など教えて頂ければ商品が絞れるのですが」

「……まあ、とりあえず案内だけしてくれ。詳しいことが決まり次第、話そう」

「かしこまりました」

 それから麻見はおよそ15分程度でざっと店内を一周した。細かい物はアイロンやドライヤーまで見たが、それらは特に素通りにすぎなかった。

 まあ、目的が分からないのでは説明の仕様もあるまい。

 最後に風除室の自動ドアを抜けて駐車場に入り、ロールスロイスの側まで見送りに来た時、後藤田はようやく麻見の目を射抜くほどに見つめた。

「さっき説明した中から、自分が一番欲しい物を書いておいてくれればいい」

「……、私(わたくし)が、でしょうか……?」

 麻見の、それは困るとでも言いたげな眉間の皴に一旦、苦笑。

「……ここから約2キロの新桜田町に一軒家がある。つい最近、住人が引っ越してな。次に入りたいと契約していた客もいたが、うまい具合に単身赴任になってしまい、しばらく空き家が続く」

「…………」

 後藤田の無心の視線に、麻見も無心で応えている。良い、瞳だ。

「空き家で置いておくのはよくない。70坪ほどで広いとは言い難いが一人暮らしには充分だとは思わないか?」

 予期せぬ質問だったのか、麻見は慌てて、

「はい、そんな広いお部屋……」

とだけ相槌を打つ。

「ならいい。家賃は月2万、破格だ」

「えっ、そんなにお安くですか!?」

「魅力的だろう?」

「ですけど……なんだか、安すぎて怖いような」

 麻見は少し下を向いて笑った。

「本来なら月額100万だ。そこを50分の一で押さえよう。君が、契約するのなら」

「えっ、私(わたくし)ですか!?」

 飛び上がるように顔を上げた麻見は、目をぱちくり開いた。

「ああ、よくしてくれている礼だと思えばいい。他人に貸すこともできるが、どうせならよく知っている人間の方に良い物を勧めたいだろう?」

 販売員としての想いに付け入るように、後藤田は麻見を見詰めた。

「場所はすぐそこだが、なんなら今から一緒に行くか?」

「えっ、あ……。しっ……でもまだ少し作業が……」

「待っているぞ、数時間程度なら」

「…………」

 その表情はなんとも複雑だ。

「…………」

 後藤田はそのまま、ロールスロイスの扉を自分で開け中に入り込む。

「あっ! あのっ!!」

 座り込んだばかりの後藤田は、自信に満ちた顔で、麻見を見上げた。

「すぐに終わらせます。30分……」

 麻見は何の計算か、腕時計を確認した。それはいつもしているセイコーの上品な時計ではない、ピンクゴールドの小さな細いファッション時計だ。

「いえ、20分で戻ります」

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