雪の足跡《Berry's cafe版》
 八木橋の言う通り、スキー場から国道につながる県道のあちこちで、スリップした車が路肩に突っ込んでいた。

 あのあと八木橋はロッジを出て板を履くと、携帯を探すこともせずに斜面を直滑降でゲレンデを下りて行った。午後のレッスンにギリギリ間に合ったかどうか分からない。すぐに探せば携帯自体が作った穴で見つけられた筈だと思うけど、雪は降り続いていたからレッスン終了後に見つけるのは至難の業だと思った。


『ったく……。気をつけて帰れよ』


 あれが最後の会話だった。呆れたようにため息をついてた。怒ってるのか困っているのか分からない。私だって必死だった。これで八木橋を見るのは最後だって。必死に脳裏に焼き付けた。本当はベッドから八木橋が下りた時、あの時を最後にするつもりだった。ウェアを着た私じゃなくて、ちゃんとお化粧してネイルも見せて私なりに飾った私で終わりたかった。ベッドの上で素直に八木橋の言うことを聞く可愛い女の子で終わりたかった。あのレストランに八木橋がやって来たのは神様からの贈り物だったかもしれない。ちゃんと気持ちを伝えなさいって。もう会うこともないのなら、ラストチャンスをあげるって。でも無理だった。大体、神様なんてものが存在するなら、何故あんな男と知り合わせたのだろう。

 高速を降り、自宅に戻る。もう19時を過ぎていた。車のドアを開けると妙に生暖かく感じる。スキー場で寒さに慣れると下界の寒さはなんてことはない。荷物を持って家の玄関に行くと、ドアフォンを押す前に扉が開いた。エンジンの音で気付いた母親が出迎えて荷物を預かってくれる。そして私は板やブーツを下ろし、玄関に置いた。

 まず、和室の仏壇に手を合わせる。亡くなった父に無事帰宅したことを報告する。そしてたった数日で恋に落ちて、知り合ってたった数日で体を重ねたフシダラな娘を許してくださいと詫びた。しかも古臭い滑りだと、一人娘にユキと名付けたスキー馬鹿と父を笑った男と。でも仏壇の中にある小さな遺影の父はただ笑うだけだった。

< 55 / 412 >

この作品をシェア

pagetop