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取り替え子

流れる川の水が、顔を舐めた。
突き刺すような冷たさに、スピカは目覚めた。
そして身を起こすと、髪の毛から水が流れ落ちる。
辺りの空気は生暖かく、夏の夜に命の息吹を与えていた。
川の流れる方向から、水の妖精が彼女を見つけて近寄って来た。スピカはフローラルの妖精だったが、人間の子供と取り替えられていた。
遥か昔に、水の妖精イセルはスピカを見たことがあったが、
別に話した事は無かった。
「スピカだよね。」
イセルは和服を着て、スピカはいぶかしげにイセルを眺め続けていた。
「スピカじゃないよ。美穂。」
スピカは、妖精でいた頃の名前を忘れてしまっていて、妖精でいた事も忘れてしまっていた。
「さぁ風邪引くよ。出ておいで。」
イセルがスピカの手を取り、川から出した。
「私流れて来たの?」
目をぱちくりとさせてスピカは訪ねた。
「そうだよ。ずっと川上から、流れて来たんだよ。」
イセルがそう言うと、スピカはくしゃみをした。
「そら。言ったろ?」
イセルはスピカを急かし、自分の家へ招いた。
着替えをして、スピカはイセルの家で身体を暖めた。
「私は、美穂。家族は母親と父親がいて、祖父がいる。」
スピカは、人間の時の話をした。
「君は美穂ではなく、ルクス族のスピカだ。人間でいた頃の生活も家族は忘れてしまっている。」
イセルがスピカに言った。
「本当に?」
スピカは信じられずに言った。
「取り替え子ってやつだ。君はいくつ?」
「12才。」
「12年前に、君は人間の子供と取り替えられたんだ。普通妖精が取り替え子をする場合、妖精であった頃の記憶を無くす事はない。きっと誰かが、君を人間の世界に送り込んだ犯人がいるんだ。何の目的なのかはわからない。」
イセルが顔を曇らせながら言った。
「産まれた時から私は、人間だった。」
「しかし、スピカが母親から産まれた時など、記憶してないだろ?」
「ええ。」
「取り替え子をする妖精は、産まれた時からバグパイプを吹いたりしてるんだよ。姿は大きく、醜い。しかし、スピカは到底そんな容姿じゃないから、人間に受け入れられていた筈だよ。12年も取り替え子で人間の世界にいれるなんて、あり得ない。小さい頃から得意なものはあったかい?」
スピカは少し悩み、思い付いた。
「バレエだ!小さい頃からバレエは誰にも負けなかった。コンクールで何度も優勝してたの。今年も楽勝だったんだけどなぁ。」
しゅんとしてスピカはうつ向いた。
「スピカ、君は妖精の方が幸せになれるよ。人間の生活には、生き物の流れる血が、君を醜く恐ろしい生き物にしただろう。」
「生き物の流れる血?」
「食べる事だよ。肉類や革製品を作るなど…」
イセルが話していると、蹄の音と話声がした。
「おや、君は確か?」
朱色の髪を結い上げた美しい青年が、イセルの家を除き込み言った。
「カーネリアン、彼女はスピカです。すぐ後ろの竹藪の川上から流れてきました。まだ、自分を人間だと思ってますよ。」
イセルは優しい顔で笑った。
「誰の仕業だ。」
顔をしかめてカーネリアンは呟いた。
「そうだ、お喋りエルフのエルリオンに色々話して貰おう。おいで。」
カーネリアンはスピカを優しく呼んだ。
カーネリアンには、初めて出会ったはずなのに、懐かしさを感じた。スピカ。星の名前に郷愁に浸った。
「今晩わお姫様。」
ロードナイトのロジクが、スピカに微笑み掛けた。
彼の傍らには、美しい一角獣が大人しく寄り添っていた。
カルセドニーのお嬢さんから譲り受けたのだ。
ロジンを思い出すからという理由であるが、
その時代から幾千年も経っていた。
美しい白い一角獣は、レーシュの城の跡にある、泉の水しか飲まなかった。
壊されたレーシュ城の中庭の跡は、エプサイランの泉と呼ばれ、かつて王国を出たザイン帝国の民と、メーム王国の民が集った。

「ルクス族とルフト族は、元々レーシュ族でした。けれど、軍事的食い違いにより別れました。我々は上官にいわれるがまま、引き裂かれました。青メノウ軍は、赤メノウ軍に比べて劣りが見られました。身体的な問題は無いのですが、サバイバルにむいていません。我々の種族であったり、フォト・グレイシャス族には戦いの弓の弦よりも、琴の弦が合うのです。メノウの三人衆がいて、彼らは青メノウのランダ・プラクシス、ミュー・アタラクシア、赤メノウのファイ・プシュケー(プッサン)でつくられていて、優れた音楽を奏でましたが、エプサイランの泉の丘でしか演奏を聞くことは出来ません。世界が平和になれば、きっと彼らはオニキスとオブシデアンを酔わせるでしょう。」
エルリオンは妖精のしきたりと歴史をスピカに教え込むと、メノウの三人衆に合わせてくれた。
彼らは気さくで、悩んでいるようには見えなかった。

「スピカ。しばらく見ないと思ったら人間になってたんだって?君ジェットと付き合ってたんだろ、何か関係あるんじゃないの。」
ランダが無邪気に尋ねた。
「ジェット?」
「北の方に行くと、トラメの森があって黒エルフという恐ろしい種族がいます。ジェットはトラメの森の王の証として名乗ることになっています。さまざまな者がジェットを名乗りましたが、ランダのいうジェットは、トラメの森よりも、北にある、レフからきたユーリのことです。彼はザイン帝国のオニキスの側近として働いています。彼を操るなら、トラメの森も操る事ができるようになるのです。」
エルリオンが言った。
「私、王女様になるの?」
スピカは心配しながら尋ねた。
「さぁ、もしかしたら王女様になるかも知れない。所で、バレエは人間の時も忘れなかったんだね。」
ミュー・アタラクシアが尋ねた。
「うん、忘れなかった。」
「人間と妖精では、身体の使い方が違うだろ。」
プッサンが冷ややかに言った。
「人間って奴は鈍くて、軍にむいてない。」
と続けた。
「それはプッサンが赤メノウだからそう感じるんだ。人間は、鍛えれば僕らと変わらない。」
ランダには、人間の友がいるので、反論した。
「だからオニキスにおいてかれんだ。」
プッサンは三人が別れたことを、非常に悲しんでいた。
彼は、兄にファイ・テオリアという曹長を持っていたが、自分はランダやミューと争いたくない為に、非国民扱いになっている。このセリフは、世の中に対する憤りだった。
「そんなことを言うな。オニキスは色しか見てない。それを、どうしようがある?」
エルリオンはプッサンをなだめた。
「もうすぐメーム国を侵略するんだ。」
プッサンは項垂れた。
「誰も殺しはしない。」
ミューは呟いた。
「死にたくないわけじゃない。青メノウには、沢山知り合いがいたし、優しくしてもらった恩があるんだ。」
プッサンが囁いた。
「確かに、君は誰よりも腕があるから、切り込み隊長になるかも知れない。」
ランダがため息をつき、ややあってうずくまった。
戦争が近いのだ。
「プッサン、オニキスは、情がないのか。」
ミューが尋ねた。
「情がないのは、オブシデアンも同じだろ。
ロジンを追放した。」
プッサンは言った。
「そうだな。」
ミューはプッサンの言葉を引き受けた。
呑気さが消えて、静かになった。


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