三十路で初恋、仕切り直します。
《番外編》 ダイヤの行方

《番外編・ダイヤの行方》


1

『疲れてるのか?』

パソコンのディスプレイ越しにそう訊かれて、ぎくり、と肩を揺らしてしまう。

仕事上がりの土曜日の夜。いつものようにテレビ電話の通信サービスを利用して、日本にいる泰菜とシンガポールにいる法資は画面越しに対面していた。

明日はふたりとも休出が掛かっていないから、今晩は久し振りにゆっくり顔を見ながら話せる貴重なひとときだというのに、隠せているつもりだったしょんぼりとした気持ちがどうにも顔に出ていたらしい。


「ううん、普通普通。大丈夫だよ」


画面に映し出される法資の顔を見ながら、手元に用意していたマグカップを口元に引き寄せて笑う。折角法資の方からスカイプを繋げてくれたというのに、つい考え事に気を取られてしまっていた自分が情けない。


『眠いなら、また明日にするか?今日もフル出勤だったんだろ』
「大丈夫だってば。それを言うならさっき帰ってきたばっかの法資の方が疲れてるでしょ?ほら、気にしないでお夕飯つまんでてよ。わたしはさ、今日はいつにも増して肉体労働ばっかだったから、何か肩凝っちゃってるだけよ」


こわばりを解すようにその場でぐっと伸びをしてみせる。法資は相変わらず鋭いなと思いながらも、仕事の話で誤魔化すことにした。


「出荷がさ、また若い子来なくなっちゃって。このまま辞めちゃうつもりみたい」
『……おまえのとこの工場は相変わらずだな。それにしたって生産管理の人間に現場の仕事押し付けすぎだろ』

「しょうがないよ。人手が足らないし、前任者がなあなあで現場の仕事引き受けちゃってた前例があるから、わたしに代わったからもうやりません、って風にはなかなか出来ないもん」

『おまえに代わったときにもっと上がうまく取り計らって線引きして貰えばよかったのにな』
「うーん、でもうちだとどうしても、現場の意見が偏重され易いからね」
『苦労するな』


そう言ったあとで、やさしい声で『お疲れ』と言ってくれる。


「法資こそ、朝からお疲れ様でした」


言いながらちょこんと頭を下げる。お互いに労を労い合い、自然と笑顔になる。






法資が勤務先であるシンガポールに出国してから三週間余り。

こうして自宅でスカイプを利用し、対面で連絡を取り合うのはこれで6回目だった。メールは平日にもう少しだけ頻繁にやりとりしていたけれど、やはりこうして画面越しにしろ顔を見て声を聞けることはうれしかった。






「そういえば法資、指輪本当にありがとうね」


法資が出国し、ひとり静岡の家に帰っていったあの日。探し物はわりとすぐに見付かった。茶箪笥の引き戸に入っていたのだ。

暖房を入れることも忘れて家の中を探し、ジュエラーの銘柄が刻印されたきれいな小箱を見付けたときは思わず息を飲んだ。手を震わせながらそこに収まっていたきれいな濃紺のケースを固唾を飲んで取り出し、開いた。


中に納まっていたのは、一粒石のごくシンプルな指輪だった。


プラチナと思われる銀色の環に、立爪に抱え上げられた大きな石が乗っている、流行り廃りのない「婚約指輪」の王道とも言える洗練されたデザインだった。



友人たちが見せてくれた婚約指輪や結婚指輪はどれもそれぞれ持ち主に似合いで素敵で、見せてもらったときは心底羨ましかったけれど。

自分がいちばんすきなのはこれだ、と法資がくれた指輪を見たそのとき、すとんと腑に落ちるように思った。

無数のダイヤが散りばめられた豪華なものでも、カラーダイヤが添えられた可愛らしいものでもなく、ただ一粒ダイヤがあしらわれただけの正統派で定番デザインのこの指輪こそ、もっとも自分の好みだと。

いちばんスタンダードなものにいちばん心を惹かれることを、法資は分かっていてくれたのかもしれない。そう思うと自分の薬指で光るリングを見てますますいとおしい気持ちが募った。





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