三十路で初恋、仕切り直します。
12 --- 大切に出来るひと

「ちょっと班長いい加減にしてくださいよ。飲みすぎです!」


田子の手から焼酎の入ったグラスを取り上げると、完全に出来上がっていた田子は「うるせぇっ酒くれぇ好きに飲ませろってんだっ」と言いながらもずるずるテーブルに前傾していく。

津田や山田が今時の青年にしては付き合いよく一緒に飲んでくれるところが嬉しかったらしく、田子はいつにも増してハイペースでグラスを開け、結果飲み初めて二時間も経たないうちに酔いつぶれかかっていた。


「班長?今タクシー呼んでますからね」
「ぁあ?余計なことすんじゃねぇよ、まだ今日は黒霧飲んでねぇし」

「また今度にしてください。もう〆ますよ。こんなべろんべろんで帰って、大事な奥様に見捨てられても知りませんから」


泰菜の言葉に、一瞬真顔に戻った班長が「いいんだよ」とこぼす。


「……うちの女房はよぉ、もうとっくに俺のことなんざぁ見放してらぁ。それでも傍にだけはいるからよ。もうそれでいいんだよ、……それだけでな、いいんだよ……」



そう言ってとうとうテーブルに突っ伏して寝息を立て始める。その姿を眺めていた津田が、ほほえましい光景でもみたような顔をした。



「なんかいいなぁ。『傍にいてくれるだけでいい』だなんてさ。田子班長、顔に似合わず奥さんにべた惚れなんだね」
「まぁ……そうなのかもね」

班長には風俗狂いの顔もあるけれど、あえてここで口にすることもないだろうと曖昧な返事をした。

「さてと。そろそろタクシー来るかな。津田くんも山田くんも、班長に付き合ってくれてありがとう。明日も仕事なのにだいぶ飲ませちゃったね」
「いいのいいの、俺も山田も飲める口だし。それに明日仕事なのはたーちゃんだって一緒でしょ。それにしてもいっつも田子班長みたいなシモネタきついおじさんたちと飲んでるなんて、たーちゃん大人になったね」



苦笑いした後で、津田は新人の山田をちらりと見る。



「この人さ、高校生のときシモネタ全然駄目で、『汚しちゃったらいけません!』みたいなすごいウブで清楚な女の子だったんだよ」
「ちょっと、その言い方だと今のわたし汚れきってるみたいじゃない」

「だってさ、まさかたーちゃんの口から『しゃぶります』とか『太いほうがいいです』なんて言葉が出てくるなんて思わなくて……」


おつまみでエイヒレやソーセージが頼まれたとき、面白がったおじさん方に必ず言わされる言葉だった。入社間もない頃はともかく完全に開き直った今では、卑猥な連想をさせるその言葉をもはやなんの感情もなく口にすることが出来ていた。

田子は懲りずに今日も泰菜にその言葉を言わせたけれど、げらげら笑っていた津田はともかく、顔を赤くして気まずそうにしていた山田くんにはなんだかとても申し訳なかった。


「笑いすぎ。あの程度のこと気にしてたらとてもうちみたいな工場じゃやってけないの」
「ピュアだったたーちゃんがこれだもんなぁ、年月ってのは怖いもんだね」
「どういう意味よ」



津田と泰菜でじゃれ合うように言い合っていると、黙ってその様子を眺めていた山田がぽつりとこぼした。



「津田さんと相原さんって、本当に昔付き合ってたんですね」


言ってからはっと我に返ったように手を振る。


「あ、えっと。そういう気心知れた間柄に見えて」
「そうなんだよ、俺とたーちゃんは昔むかし深ぁい仲になった間柄で」


冗談めかして津田が言うから、泰菜は「はいはい」と受け流した。


「そうですねその通りですね、昔はありがとね。……タクシー来たから二人で班長運んでもらえる?」
「了解。山田は一緒に乗せてもらって先にホテル回ってもらうといいよ」
「はい、ありがとうございます」
「俺はさ、もうちょっとこの人と昔話をしたいんだけどいいかな」


津田はにっこり笑って泰菜を指差すと、山田はうろたえるような顔をする。


「……津田くん、わたしの都合も聞かずに急にそんなこと言われてもびっくりなんですけど」
「いいじゃん、滅多に会えないんだし」

「おごりならね。仕方ないから付き合ってあげてもいいけど」
「わお。しっかりしてるね」


山田は困ったような顔をしながら、物いいたげに津田と泰菜の間で視線をさまよわせる。


「ええっと、山田くん、そんな心配そうな顔しなくてもわたし津田くんが既婚だって知ってるし、さすがにいくらモテないからって既婚者に手を出すほど落ちぶれてないわよ?」


自虐まじりの泰菜の言葉に山田は「はい」とも「いえ」ともつかない返事をする。


「ちがうよたーちゃん。山田は俺の方がたーちゃんに悪さしないか心配なんだよ」
「あら。普段からそんな信頼損ねるようなことしてるの?」

「それはともかくさ、山田、たーちゃんはね、うちの海外事業部の企画室にいる超高スペックな男にプロポーズされてる身だからさ、間違いなんて起きないから」


思いがけない津田の言葉に、若い男二人の前でシモネタを言わされたときでも決して乱れることのなかった泰菜の心臓が、どくっと強く打つ。


「たーちゃんは俺程度の男なんかさっぱり眼中にないから大丈夫だよ。俺だってたーちゃんがいくら可愛くても、桃木が相手じゃ分が悪すぎて手も足も出ないって」

「えっと……その桃木さんって……もしかしてこの前社報に載ってた桃木さんですか?」
「そうそう、うちの女子たちがきゃーきゃー言ってたあの桃木だよ」


そう言ってから津田がにやりと人の悪い笑顔を浮かべて泰菜を見る。


「……ねぇどうして……津田くんがわたしと法資のこと……」

「なんで知ってるかって?……さっきたーちゃんがいないときに田子班長が教えてくれたんだよ。『相原が昔からの知り合いで一流企業のイケメンエリートにプロポーズされたらしい』ってね。そんなの桃木以外にいるわけないじゃん?」





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