明日、嫁に行きます!
「答えなさい」

 切るような鋭い視線を向けられて、ゴクリと喉が鳴った。

 ――――言えない。

 どうしてか、私は高見沢さんの名前を答えることが出来なかった。
 実家の後ろ盾がないと彼に振り向いてすらもらえないと信じている、その憐れな女心に同情したからか。
 それとも、全てを擲《なげう》ってでも鷹城さんに振り向いて欲しいと願う、強くて激しい想いを素直に口に出来る彼女のことが、羨ましく思ったからだろうか。

 ――――両方だ……。

 喘ぐように息を吐きながら、私は嘘を吐くために口を開いた。

「……あのね、裏道歩いてたら変な男の人に跡付けられちゃってね」

 後ろめたさから鷹城さんの視線を避けて、彼の胸元を見つめながら説明した。

「それで!? 他に……他に何もされてないですか!?」

 がくがくと肩を揺らされながら、コクリと頷く。眉をきゅっと顰めながら、心の中で『ごめんなさい』と呟いた。

「うん。大丈夫。走って逃げてきたから」

「……よかった」

 ぎゅうっと強く抱きしめられる。
 ふわりと鼻を掠める鷹城さんの香りに、ふいに泣きたくなった。
 広い胸に抱き留められて、じんわり伝わるその体温が心地良すぎて、もう、離したくなくて。
 でも、私もいつか、近い未来。高見沢さんと同じ思いを味わうのかも知れないと思うと、どうしようもなく切なくて。
 もうこれ以上、私を惑わさないで欲しかった。

 ――――鷹城さんは、残酷な男だ。

 きっと高見沢さんに対しても、鷹城さんは私と同じような態度を取ったんだろう。彼女は彼に想われていると勘違いして、結果、捨てられてしまったんだ。立場は違うけれど、高見沢さんと私は同じなのかも知れない。

 …………痛い。

 彼女と自分の姿を重ね合わせて、切ない思いがこみ上げてくる。鋭いナイフで胸を突かれたような痛みが走った。

「心配させないで下さい。……こんな思いは、もう、たくさんだ」

 掠れた声が熱を持ち、微《かす》かに震えていた。

「……ごめんなさい」

 ―――……嘘をついて、心配させて、ごめんなさい。

 鼓動の度に悲鳴をあげ続ける心。自分の弱さと脆さに苦笑しながら、私は鷹城さんの背中に、そっと腕をまわした。


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