氷の卵

臨時休業

臨時休業という立札を立てるのは、久しぶりだ。
私は少しだけ後ろめたい気持ちで、店の戸締りをした。


「雛!」

「啓。」


啓は車の窓から、少しだけ顔を出して私を呼んだ。

そっか。啓も運転するんだ……。

深い青の乗用車。

手入れが行き届いているように見えた。


「乗って。」


啓が助手席の扉を開ける。


「ここ、いいの?」

「え?」

「指定席とかじゃないの?」


そう言うと、おかしそうに啓は笑った。


「あいにく自由席。ほら、早く!」

「うん!」


乗り込むと、啓といつもより近くにいるような気がして、ドキドキした。


「どこに行くの?」

「まあまあ。そう焦らずに。」


啓は意地悪く微笑む。


「気になるよ。」

「雛はせっかちだなあ。」


違う。
だって、何か話していないと、心臓の音が啓に聞こえてしまうんじゃないかと、心配になるから。

私だけ、意識してるのがばれてしまうから―――


「雛、今日はお店休みにして良かったの?」

「うん。いいの。たまには私だって。」

「そうだよ。たまには雛だって、仕事以外の場所でリフレッシュすべきだよ。」

「ありがとう。誘ってくれて。」

「おい、まだ着いてないのにそんなこと言うなって。雛はやっぱりせっかちなんだなあ。」


啓が笑うと、暗闇に光がさすみたいに明るくなる。
それに、気持ちがいい風が吹き抜けていくみたいな、そんな感じもする。

啓は前髪の一本まで啓で。

そして私は、そんな啓を見ているだけで、幸せになれるんだ。


窓の外が知らない景色になっていく。


行き先を啓に委ねているという感覚が、私をより一層幸福な気分にさせていた。
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