僕は小説家になりたい
僕は小説家になりたい
多くの大学生にとって、図書館はレポートの補助でしかない。
それはおれにとってもそうだった。

だから「お預かりします」というカウンター越しの声に目を向けたのは、
気まぐれに過ぎなかった。

夜を閉じ込めたような、丸く黒い瞳。
粉雪に紅が滲んだような、白い頬。
一瞬触れた、絹のような柔らかい手。

薄暗い建物の中が一気に色づいた。
文字通り、おれの時間が一瞬止まったのだった。

このときから、おれの世界は彼女を軸にして回り始めた。

苦手なはずの図書館に入り浸り、彼女とその同僚の話に耳をそばだてた。
その度に、おれはカウンターに本を積み重ねてく。

太宰 治
アンコール・ワット
安藤 忠雄
『銃・病原菌・鉄』
吉本 ばなな
柳田 國男
『ナルニア国物語』

バーコードリーダーを当てながら、嬉しそうに綻ぶ彼女に喜び、
ページを捲るたびに彼女の知識に浸っていくことに満たされていた。


その一方、悲しい現実も知っていた。

彼女には彼氏がいた。
その左手首のブレスレットは彼からの出張土産だ。
同僚に嬉しそうに話す姿が、おれの内側に小さな棘となり刺さった。

その痛みに、おれは本をめくって逃げた。
文字の海はおぼれやすくて、ちょうど良かった。



けれど、桜の花が咲き始める頃。
彼女はシニヨンを解くようになった。

彼氏が海外に転勤となるらしい。

大丈夫よ、汐美。スカイプだってあるし、お互いiphoneじゃない。
同僚の慰めにも、彼女は俯いていた。

彼女の涙を見たのは、彼女が書棚の整理をしているときだった。
すすり泣く音に思わず、おれは華奢な肩をつかんだ。
驚く彼女の頬に涙の痕がみえたとき、おれの頭は思考を止めた。

彼女を自分の腕の中に引き連れ、キスをした。
乱暴だった。
彼女は腕から逃れるように、抵抗した。
細い腕で懸命に身じろぎ、
けれど、おれはすべてを奪いたかった。

何秒経った、かはわからない。
数分かもしれない。知りたくはない。

彼女の腕が縋るようにシャツを掴んだとき、
おれはさらに犯すようにキスを深くした。


もしも、この瞬間を
本の1ページのように閉じ込めることができたなら、
紙とインクと言葉で、永遠にすることができるなら、



僕は小説家になりたい。


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