リスタート ~最後の恋を始めよう~ 【前編】
1章 『思い立ったら、吉日』だよねと決心した夜

1.決意の金曜

冷えた缶ビールを飲みながら、バラエティー番組を見ていた明子は、声を上げて身を捩るようにして笑った。

その瞬間、プチッと弾け飛んだ小さな物体を、明子は目の端で捉えた。
同時に、それまでパンパンでキツキツだったお腹がふわっと解放されて、妙にユルユルでラクラクになった感覚が明子を襲う。


(なんだか、イヤな予感)
(まさか、ね)
(違う違う)
(気のせい、気のせい)
(気のせいだって)


そんなことを必死に自分に言い聞かせながら、明子は下腹部あたりに目を向けた。

パンツのボタンが、辛うじて、細い一本の糸にしがみ付いているような、そんな滑稽かつ無残な光景が、そこにはあった。


-ちっ。


一つ、小さく。
明子は忌々しげに舌を打つ。


(またなの)
(もう、勘弁してよ)
(やっぱ、安物はダメだね)


そんなことを思いながら、それでも仕方がないなと、明子は重い腰をあげた。
立ち上がった拍子に、ファスナーがズズズーッと半分ほど、許可なく勝手に下がっていく。
また、一つ。
小さく舌を打ってから、明子は大きく息を吐き出した。


(手動だったんじゃないの、あんた)
(いつから、全自動になったのよ)


八つ当たりにもほどがあるだろうというような言葉をファスナーにぶつけ、どっさりと床に積み上げてある、服やら本やらを明子はかき分けた。
そうして、その山の底の辺りで、ひっそりと眠るように埋もれていた裁縫箱を発掘した明子は、面倒そうに糸を通した針を片手に、ボタンをつけようとして、その手が止まった。


(いかん!)
(『高杉兄弟』の時間だよ!)
(危うく、見逃すとこだったわ)
(危なー)
(まあ、録画予約はしてあるけどさ)
(あるけどね)
(それとこれとは、別だから!)
(ボタンをつけてる場合じゃ、ないんだから!)


ファスナーが辛うじて、半分だけ閉まっている状態のパンツから、搾り出されているかのようにはみ出している、ぶよっとした醜い肉塊。
そんなものからは目を背けて、明子はまたどさりと座り込むと、いそいそとテレビのチャンネルを変えた。
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