絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
大人の遊園地
 さて、その日何故こんな高級ホテルのロビーで香月が携帯電話なんぞ意味もなくいじっているのかというと単純なわけがある。
『すすすすすみません……、あの……すごく体調が悪いんで今日いけません……』
 という職場の後輩、佐伯のドタキャン宣言に始まった。
「え、そうなの? 大丈夫?」
 なんか前にもそんなことあったなあ……違ったか?
『あの……深くは聞かないで下さい……産婦人科関係なんで』
「え゛、うそ、大丈夫? 付き添おうか?」
 時間と場所を忘れるほどの突然の告白に、視線が止まる。
『いえ、付き添ってくれる人はいるので大丈夫ですが……すみません』
「いや、そっか。付き添ってくれる人がいるんなら大丈夫だね。うん、行っておいで。今日は私、買い物するから」
 買いたい物……何かあったかな……。
『はい、すみません……じゃあ、また……』
「うん、またメールする」
 佐伯に彼氏……らしき人かどうかは知らないが、とりあえず、産婦人科に行かなければならないようなことが起こる人物がいるとは全く知らなかった。
 私達は時々会い、食事をし、買い物をする。もちろん会話もするが、そういったプライベートの話をあまりしない。つまり、友人というよりは同僚という関係であった。
 だから、香月の恋人である上司の宮下の話も佐伯は知らない。
 お互い様なのだ。
 さあて……。ヒルトンホテルでの期間限定デザートビュッフェがなくなった今、予定は突然白紙に戻ったのである。しかも既にここはホテルのロビー。
 ビュッフェなんか一人で行っても楽しくない。
 どうするか……、この、午前11時を今すぐ埋めてくれるような人といえば……同僚の頼れる男、西野……電話して仕事中だったら嫌だしなあ……と電話帳を開いてスクロールさせる。
「久しぶりだな」
 その聞き覚えのある声に一時停止する。
 次に顔を見上げても、一旦停止。
「こんなところで暇つぶしか?」
 ばっちり3ピースのダークスーツで決めて、ふふんと薄く笑われる。後ろの護衛はいつもの通り、厳重極まりなく、メガネの奥でこちらを睨んでいる。
「こっ、これでも私、忙しいんですけどっ」
 って全く説得力がない。香月は開いていた携帯をパチンと閉めて、とりあえずの動作を表現する。
「忙しいなら……仕方ないな」
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