明滅の先
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 村治佳織のコンサートに行ったことがきっかけで、カオリはクラシックギターのレッスンに通うことになった。美人で清楚な外見と同様に村治佳織から奏でられる音は、静謐さを放ち、聴くものを魅了する。
「村治佳織さんみたいになれますかね?」カオリは講師である陣内に訊いた。ゆるいパーマをあてた髪に、クールな眼差しは、講師というよりはモデル、だ。
「無理」彼はカオリの指先に触れた。彼の手は冷たく、徐々にカオリの体温を奪っていく。動揺からか、三弦を鳴らしてしまった。それも鈍い音。
「なぜですか?」とカオリ。
「彼氏と別れないからだよ」カオリの背後から陣内が耳元で囁いた。彼の爽やかな口臭が彼女の鼻孔にすっと入り込んだ。

 新卒から勤続八年になる会社もマンネリ化し、彼氏ともマンネリ化していたカオリは人生に疲れていた。彼氏との結婚への進展はなく周囲は結婚ラッシュ。徐々に女性という入れ物から取り残されていく気がした。三十を超えると開き直る、というが彼女もその一人だった。彼氏は「趣味を持て」と言った。なのでカオリは考えた。一人で行動するのは好きだし、一人でいることも苦ではない。さらには村治佳織のコンサートに魅入られてしまったカオリは同名ということもあり、クラシックギターを習おうと決意することは半ば必然だった。
 インターネットでレッスン場を探し、『JiN』に決めた。HPに講師の写真があり、カオリのタイプだったからだ。
 レッスンの休憩時に陣内がギターを目を瞑りながら、己の世界を体現している姿を見たときに、カオリの胸は高鳴った。素敵、その二文字に尽きる。
 レッスンを重ねる内に講師である陣内との距離が縮まっている気がした。

「ちゃんと付き合ってくれるなら」カオリはギターをつま弾いた。今度は綺麗な音が出た。その音と連動するようにレッスン場の蛍光灯が消えた。どうやら停電のようだ。
「ギターを置きなさい」と陣内。彼女は床に置いた。
 その直後、背後から陣内に抱きしめられ、首筋にキス、うなじに移動し、首をくいっと回され、カオリの唇は奪われた。その流麗さは彼のギターを弾く指先と重ねっていた。そう、一切の無駄がない。
「付き合う前に、君を奏でよう」と陣内。 
 明確な答えを貰っていなが、この場の熱情は止められなかった。脱ぎ、互いを探り、絡み、頭上の蛍光灯がちかちかと明滅していた。答えを求めて。
 
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