愛を教えて ―輪廻― (第一章 奈那子編)
(3)偽りのヒーロー
「……部屋を訪ねたのか?」

「あたしが社長の家内だって言ったら家に上げてくれたわ。夜中に家を出たまま丸一日帰って来ない。事故に遭ったんじゃないかって。――ダメじゃない、身重の奥さんに心配かけちゃ」


クスクス笑う郁美を、太一郎は苦々しい思いで見ていた。

いったい、何をどこまで話したのか……問い詰めたいが、夜中に声を荒げて、それこそ警察でも呼ばれたら堪らない。

だが、ひと言も言い返さない太一郎を見て、御し易い相手と踏んだようだ。郁美はキッと目を細めると、頭ごなしに命令し始めた。 


「亭主が煩いから会社は辞めてもいいわ。その代わり、等さんの会社で働いてもらいますから。ああ、彼や他の社員はあなたが藤原の人間だって知らないのよ。そのつもりでね」

「等……さんがそんなことを引き受けるとは思えない。俺なんか放り出せって言うに決まってる」

「チクられないためにも見張って置かないと――そう言ったら息子は私の言いなりよ。浮気がバレさえしなきゃ、父親のほうもね。今は……あなたにレイプされたって信じてるから、とっても優しいし」


思わせぶりに言いながら、郁美は背を向ける。

彼女の後姿を、刺すような視線で見送る太一郎だった。



六畳の和室と三畳のキッチン、風呂・トイレ付きで家賃三万五千円。それが、今の太一郎にできる精一杯だ。

大家が高齢のため、いつ代替りして取り壊されるかわからない。だがそのおかげで、敷金礼金なしで借りられたのだから文句は言えない。

錆びた鉄製の階段を太一郎は重い足取りで上がる。

二階の廊下は電球が切れており、薄い月明かりでどうにか足下が見える程度だ。そこをゆっくり歩きながら、太一郎は考えていた。


郁美と等の件は、宗にも話してはいない。

今回の冤罪事件を宗はどう思っただろうか?

卓巳が太一郎の立場なら、振られた女の腹いせとも考えられる。だが、無愛想で威圧感のある太一郎だ。藤原の名前と金がなければ、およそ女にもてる男ではない。

彼の言葉遣いや態度が悪くて社長夫人を怒らせた――くらいに思ってくれることを願っていた。


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