異国のシンデレラ
別離
吐血した伯爵夫人を見た瞬間…躯は動き出していた。
鮮血は状況が悪すぎる…喀血ならまだいいのに…鮮血に鼻を突く臭気…。
以前、お買い回り中のお客様が同じような症状で吐血された。後から静脈瘤破裂だと聞いて、応急処置にもならないけど対応は訊いてる。

「伯爵夫人!」
「ステラ!」
「誰かタオルと水を!すぐに救急車を呼んで下さい!」

ベテランらしき給仕の人がタオルと水を手に走ってきた。

「もっとお願いします、これじゃ足りない!」

受け取ったタオルとミネラルウォーターを手に傍に向かう。

「気分が悪いなら吐いてしまえ!」
「いけません、伯爵」
「クルミ!?何を…」
「伯爵夫人を少し横に…右側を下に」

伯爵を背凭れにして、伯爵夫人を横にする。タオルを濡らして口元に当てて、追加して持ってきてもらったタオルも濡らして胸元に当て、残りで嘔吐物を覆う。

「少し飲めますか?気分が悪いかもしれませんが我慢なさって下さい」

給仕が電話の子機を差し出してきた。

「救急隊です」
「お電話代わりました…はい、鮮血です……はい、大丈夫です…」

伯爵夫人が彼の手から水を口にした。

「ええ…いえ、看護師ではありませんが同じような症例を知っていまして……わかりました」

水を飲んで少し落ち着かれたようで、ご自身のパニックも落ち着かれている。

「すぐに救急車が参ります、もう暫く我慢なさって下さい」

新しいタオルを濡らして口元のタオルと取り替えて、伯爵夫人のドレスを軽く拭い、汚れてしまった部分を別のタオルで覆い隠した。

「クルミ、救急車より我々が運んだ方が早い」
「ダメよ、素人判断は絶対にダメ。正確な処置は出来ないし、急げばいいばかりじゃないわ。お苦しいでしょうがもう暫く我慢なさって下さい、吐き気はまだございますか?」

伯爵夫人は弱々しく否定した。それだけでホッとする。

「足下失礼致します」

ヒールを脱がせながら顔色を窺う。

「コルセットなどはされていますか?」

否定したのを見て、給仕に来賓の退室を頼み、一言断ってからゆっくりドレスの背中に手を回す。背中のチャックを下ろして、胸元をくつろげながら見ないようにまた濡らした新しいタオルを当て直す。
それからすぐに救急車が着いて、伯爵とウィリアムは同乗した。私も処置をしたとの事で救急隊員から同乗を求められた。
私の対応は間違っていなかったようで、病院についてすぐに救急の処置が行われた。輸血が必要だと言われ、血液型の一致した私が検査をクリアしたのでお受けして。
伯爵夫人の処置中にミスタートレマーが着替えを届けて下さって、私はそれに着替えた。


食道静脈瘤の破裂…大事には至らずに伯爵夫人はICUに移された。


「クルミ、何もかも君のお陰だ…」
「ミス遠野…何と感謝すればよいやら…」
「随分前に同じようなお客様を見た事がありました…すぐに救急車を呼びましたが…」
その方は亡くなったと聞かされて。目の当たりにしただけにショックは大きくて…すぐにその時に救急車に乗っていた隊員に連絡を取って対処を訊いた。
それからは簡単な応急処置も学ぶようにしていたから……。

「ですから…お役に立ててよかったです」
「体面も気に掛けてくれていたな…とてもありがたかった」
「私もそうあればやはり気になりますから…誰より自分がパニックにもなるでしょうし」
「君がいなければ母を亡くしていたと医師から訊いた…クルミ…ありがとう」
「ウィリアム…本当によかった…」

私を抱き締めながら彼が深く安堵しているのがわかった。彼の役に立てた事が何より嬉しい。
医師がウィリアムと伯爵を呼んだので、私が席を外して待合室に向かった。

「あなたのせいよ」
「…ミスフォーティア」

待合室には着替えた彼女がいた。

「あなたのせいで伯爵夫人は酷く悩んでいらしたわ!心労よ!」

ウィリアムの事ばかりだったから…。

失念…ううん…気付かない振りをしていたかもしれない。伯爵夫人のお怒りも…何もかもに。

「あなたさえいなければ…こんな事にはっ」

心労は十分に原因になりうるはず…私が…私が。

「あなたがここにいても伯爵夫人は快方には向かないわ!だって伯爵夫人はあなたを認めていらっしゃらない!点数稼ぎしたって変わらないわ!」

待合室で喚かれて、回りの患者さんが嫌そうにこちらを見る。私は何も言い返せずに外に出た。

「ミス遠野」
「ミスタートレマー…」
「伯爵夫人は?」
「大丈夫だそうです。すいません、トランクを開けて頂けますか?荷物を取りたいので」
「はい」

トランクを開けたまま私物を入れていた荷物を確認した。現金とカードに……パスポート…。これだけあれば帰れる……日本に――。

「ありがとう」
「病室はどちらです?」

私はミスタートレマーに病室を教えて、化粧室に行くと伝えた。
鞄には必要な物があると思ったのか深く詮索はされなかった。車を置きに行ってから病室に向かうと残して、ミスタートレマーは車に乗り込んだ。

私は受付にウィリアムへのメッセージを預けると、裏口から出てタクシーを拾い、病院を後にした――。

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