美しい月
7
「おかえり~!」
「ただいま、これお土産ね」
「…何か…すっきりしてる?」
「陽菜に報告があるの」

帰国後、出社した美月は陽菜に渡英中の出来事を全て話した。

「えぇ!?プロポーズって…美月…」
「うん、両親にも挨拶してくれて」
「…びっくり」
「私もよ」

それから隙を見て常務に報告をしていると、アズィールが美月を探して常務の元を訪れた。

『今朝、サイードから連絡があった…受け入れてくれたのだな』
『はい』
『そうか…これからは義妹としてもよろしく頼む』

すると常務が穏やかに口を開いた。

『これは決して贔屓ではないが…呉原を社長付きに異動させては如何でしょう?』

社長付き…つまりはアズィールの秘書に、だ。

『社長にはまだシャーラムからの侍従の方はおりますが、S&Jの社員としての秘書は不在。私の方は第一秘書の堀口もおりますし、呉原と三島が育てた後輩もそろそろ起用したいところです』
『確かに。私は日本と本国の行き来が多い…付いて回ってもらうのは大変かと思うが…可能なら是非そうしたい』
『美月!』

陽菜が満面の笑みで美月に抱き着いた。

『まだ未発表事項だが、いずれシャーラム支社も出来る。その際にはそちらへの転勤も視野に入れてくれ』
『…常務』
『娘を嫁に出す心境だがな…呉原なら立派に務められるはずだ』
『ありがとうございます…常務』

深く頭を下げた美月に倣って、陽菜まで頭を下げていた。

『三島、君もだ』
『へ!?』
『呉原と共に社長秘書として、シャーラムへ転勤になる。お前たち二人はあちらの秘書課で、人材育成も担ってもらうからな』
『嘘…』
『特に三島には秘書課を束ねてもらう。覚悟しておくように』
『…スケール大きすぎ…でも…美月と一緒だね』
『うん』
『私も忘れないでくれるとありがたいな』

陽菜と美月が喜び合っていると、アズィールがにこやかにそう告げた。

『精一杯務めます、義兄様』
『アズィール殿下、よろしくお願いします』

 数日後、アズィールの一時帰国には美月も付く事になった。専用機に乗り十数時間――美月は初めてシャーラムの地に降りた。乾いた風は熱を孕み、灼熱の太陽は強く照り付ける。空港からは広大な砂漠と、対照的なビル群も見えた。

『まずは私の宮殿に向かおう。本来なら一番にサイードの宮殿に連れて行きたいところだが』
『私は秘書ですから』
『そうだったな』

アズィールの御印はサイードとは違う鷹のデザインだ。その御印のあるSUV車に乗り込み、市街を抜けて砂漠を走る事数時間。夕暮れの中、砂漠に建つとは思えぬ緑を湛えた王太子宮に到着した。

『ミツキ、慣れない旅で疲れてはいまいか?』
『お気遣いありがとうございます』
『今夜はゆっくり休んでくれ。明日の午前に国王とシャーラム支社の構想についての会合がある』
『はい』
『そこにはサイードも出席する…大いに驚かせてやろう』

悪戯を計画するように、にんまりと笑う彼に、美月も笑う。
アズィールの宮殿で今夜は躯を休める。先に運び込まれていたスーツケースを開けて、簡単に荷物を整理した。明日は民族衣装を着用する。荷物の中から大切に持って来た小瓶を取り出した。

初めて来た、サイードの母国。美月のいる客室からは外の景色は眺められないが、天窓からは熱砂を感じさせない風が吹き込む。もうすぐ会えるのだ。
期待を胸に湯に浸かる。湯に垂らされたバスオイルは、日本で浸かった事のあるものだ。ゆったり浸かれば、躯の緊張が解れていく。
初めての砂漠の国で、しかも王位継承権第一位の王太子と共に専用機で十数時間の空の旅…緊張しないわけがない。道中はアズィールの気遣いで、シャーラムの歴史についての話や王族の暮らしぶりなど、数々の話を聞かせてもらった。シャーラム王族特有のビジネスマナーや、一般常識なども教えられ、退屈する事はなかった。


風呂から上がると、侍女がご用伺いに顔を出した。

『ミツキさま、ご用は…何か』

拙い英語で口を開く侍女は酷く緊張していた。

『大丈夫です、ありがとう』

ゆっくりはっきりと言葉にする。

『あ、あ…あの…』

言うべき事があるのだろうが緊張が大きく、侍女は言葉にすら出来ないでいる。アズィールから使用人たちの英語の教育に力を入れている事は聞いていたが、さすがに気の毒になった美月は侍女に微笑んだ。

「無理はしないで下さいね」
「…え…えぇ!?」
「そんなに驚く事でしたか?」

唐突に聞こえた聞きなれた言葉に、侍女は目を白黒させている。

「あ、あの…お話になれないと…」
「殿下方が英語でお話になられたので、そうさせて頂いていたんです」
ぽかんと美月を見ていた侍女が、ホッとしたように息をついた。
「左様でしたか…」
「お気遣いありがとう」
「サイード殿下の妃となられる方ですから、当然でございます。申し遅れました、私は今後、月離宮にてミツキ様に付かせて頂きます、ライラと申します」

丁寧に腰を折るライラは英語教育の為に、アッシーラの離宮を離れ、アズィールの宮殿に勤めていたのだ。

「月離宮?」
「はい、サイード殿下がミツキ様の為にご用意された宮殿でございます。サイード殿下のハレムは現在、迎賓館へと改築が進んでおります」

サイードの決意と行動が嬉しい。だが慣例を覆した結果、国中から向けられる目も気になる。

「…それで…サイードに批判は…?」
「いえ。議会でもきちんとお話になられ、ミツキ様ただお一人をと。生涯、他はいらないと仰せでした。使わないハレムは維持費の無駄をなくす為、議会や会合、賓客をもてなすのに利用し、更に民に還元すべきと…」
「…私は期待ハズレだと言われないようにしなきゃならないわね」
「まさか。ミツキ様は母国語以外にもいくつもお話になられると聞いておりますし、秘書官をされておいでです。ただ妃となって名前だけで暮らす方は多くおられますが、ミツキ様は名実共サイード殿下を支えて行ける方でございます」

必死に褒められて、美月も気恥ずかしい。

「ご挨拶だけのつもりが…お疲れのところを申し訳ありません」
「そんな事ないわ。緊張していたし、知る人もいないから嬉しかった。私が話せる事は内緒で」

美月が人差し指を口元に当てると、ライラもそれを真似て笑った――。
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