愛しい太陽
8
「言いたい事はそれだけか、ヒナ」
「っ!?」

ゾッとする低さで囁かれた。それが出来るのはこの場にたった一人だが、その相手からは今までただの一度も聞いた事がない。

「言ったはずだな、ヒナ…俺は…サイードの比ではない、と」
「ア、ズ……?」
「それがお前の素直な意見だとするなら…俺も全て晒さねばなるまい?」

物腰の柔らかさは欠片もなく、独裁的な雰囲気を醸す。目の前にいる男があのアズィールだとは思えない。

「俺はお前を妻にする。それはお前がどれだけ拒もうが変わらん。その手筈も全てアリーが整えた、お前は俺の腕から逃げられん」
「っ…」
「お前を逃がさぬ為に…俺がどれだけ苦心して紳士でいたか…だが本国に一歩踏み込みさえすれば、お前を閉じ込める事など容易い」

傲慢不遜…今のアズィールは正にそれだと思えた。

「日本での手続きは外務省に連絡を一本入れて、全てやらせればいい。簡単な事だ」

 酷薄にも見える笑みに身震いしてしまう。

「俺が怖いか、ヒナ?だが今更だぞ。俺は逃がさない…紳士の振りはしていたが、お前を愛しているのは真実だからな」
「ア…ズィ、ル…?」
「…ヒナ、俺の愛しい太陽。俺の愛に応えろ、お前は俺に愛される運命にある。お前の憂いなど、俺が全て握り潰してやる。俺の腕の中で俺の愛に溺れてしまえ」

困惑したままで深く口付けられ、アズィールは戸惑いごと懐柔する為に愛撫に走る。

「どちらも俺で私だ。すぐ慣れる」
「ぁ…」
「俺の熱で溶けてしまえ…お前は…我が妻だ」

不遜な物言いをしながらも、陽菜を愛撫する手や舌は陽菜の戸惑いを溶かしていく。

「ヒナ…俺の愛しい太陽…俺の愛を知り、俺の愛に溺れろ」

豹変したアズィールの激しさに、陽菜はアズィールに所有されている事を知る。何度も繰り返される占有宣言と愛。紳士的に振る舞っていたあの男は、身の内にこれ程の激情を隠していたのだ。

「サイードは嫉妬の余りミツキに触れた男を攫い、砂漠に捨てろと言ったらしい」
「っ、ふ……」
「当然止められたらしいが…俺はやるとするか。訳を聞けば、泣いて命乞いをするだろう…見物だと思わないか、ヒナ?」
「そ…っ、んな……」
「そうすればお前の憂いは一つ、確実に握り潰せる。砂漠に捨てるだけだ…造作もない」

御印の如く猛禽の瞳は、激しい怒りを帯びて鈍く光る。

「俺に掛かれば造作もないのだ、ヒナ…よく覚えておけよ?俺の元から逃げたところで、俺は地獄まで追うぞ。どこまででも、ただお前だけをな」
「っ…」

何度も放たれて熱さの感覚が麻痺した陽菜に、尽きる事を知らぬかのようにアズィールは注ぐ。

「ヒナ…俺でこんなに満たされて、溢れてるな」
「っ…」
「もっと欲しいだろう…?ここに…」
「も…無、理ぃ…」

刺激するように最奥を突つく。

「ならば湯浴みだ。暫く休んだら、また飲ませてやる」

解放された途端、溢れた熱が流れ落ちる感覚に身を震わせる。

「…少し無茶をさせたようだな」
「…ぁ…」

指一本動かせないような疲労を見せる陽菜に、アズィールが苦笑いした。それはこれまでに何度か目にした表情だ。

「ゆっくり湯浴みをしたら、何か胃に入れて眠るか…ヒナはまだ病み上がりだからな」
キスが優しくて、陽菜はぼんやりとアズィールを見上げた。
「…こんな私では嫌か、ヒナ?」
「ア…ズィ、ル…」
「本当の私はこんな紳士ではない…こんな私は嫌いか?」

悲しみに歪んだ苦笑いが陽菜の胸をも苦しくさせる。驚きはしたが、嫌悪はない。そもそも陽菜の為に隠してきたものらしい。それを聞いた陽菜が嫌な気になるわけがない。それは陽菜がアズィールに傾いている証でもある。

「…、………ぃ…」

声が掠れるせいで鮮明さを欠いていた。陽菜が答えたのに、アズィールはうまく聞き取れなかった。

「…ヒナ?」
「い、や……」
「っ」

息が止まるかと思った。

「…じゃ…な……」

 続いたそれに今度こそ安堵出来た。だがそれはアズィールの抑止をやめさせる事にも繋がる。アズィールは自身の激情をよく理解している。だからこそ陽菜に関わる場では、物腰柔らかで穏やかな王太子を演じてきた。
 どこからか陽菜に知れるのを恐れたからだ。抑止の必要性を失った自分がどう暴走するのかもわからない。本性を晒して理解されたいと思った女に出会った事がないからだ。陽菜がどこまでに理解を示すのかも推測出来ないなら、暫くは紳士の振りも続けてやるべきか。

「私の愛しい太陽…湯浴みに行こうか」

そっと抱き上げ、バスルームに向かえば、湯には鮮やかな花弁が浮かべられている。六畳はあろう浴槽を埋め尽くす程だ。アズィールの膝の上に横抱きのまま座らされた。

「どこか痛むところはないか?」
「…平気」

口調が紳士に戻っているように感じた。

「…アズィール、は…」
「どうした、ヒナ?」
「私がいない公務の時、どっちでいたの?」
「ヒナ以外に紳士である必要はないだろう?私の言動に抑止効果を発揮したのはヒナだけだ」

掌に湯を掬い、陽菜の肩や腕、背中に掛けながら労るように撫でる。

「サイード殿下みたい」
「サイードは私を見ていたからね…歴代の王族には珍しく、私とサイードは実の兄弟だ。大抵、継承権を持つ兄弟の母は違ってきたが、我々は偶然にも同じ母から生まれているし、同じ環境で育った。父にも愛妾はいるし、私たちの下に腹違いの弟妹はいる…だが妻との子ではないから、私やサイードに何かない限り、継承権は与えられない」
「弟や妹がいるの?」
「あぁ。私たちの母は病で亡くなった。父は情が広くはある、だが妻を亡くして十年以上になるが、次の妻を娶る事もしない」
「…どうして?」
「私たちの母を、誰より愛していたからだ。第二夫人はいたが母の妹で、娼館に売られそうだったところを、母の為に形だけ妻にしたらしい。第二夫人には一切触れなかった」
「そう、なんだ…」

それを聞くに、アラブの男が多情であると言う認識は間違いらしい。

「…どうした?何か気になったのか?」
「アラブの男の人って、複数妻が持てるでしょ?」
「あぁ」
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