若と千代と通訳
作者は思った。詰め込みすぎた。



「リーチ!」
「まじかよ。俺もリーチしてえのに点数足りねえわ」
「お前どんだけ負けてんだよ」
「俺、今日はメンゼンでいく」
千代の頭上で、麻雀牌がかちゃかちゃと動く音がする。
千代は胴体と腕を一緒にビニールテープでぐるぐるに巻かれた状態で、コンクリートの床に転がされていた。男達が座っているテーブルの下に隠れるように転がされているので、千代からはごついブーツやスニーカーを履いた男の脚しか見えない。冬でよかった。夏場なら異臭で鼻を曲げてしまうところだった。
寒いが暖房はない。冷え切った床が体温を奪い、千代はがちがちと震えていた。
「千代ちゃんもする?麻雀」
四脚のテーブルの下を覗き込んで、明が千代に尋ねた。
千代は寒さで朦朧とする頭をはっきりさせるように首を横に振る。明はふーんと興味なさそうに頷くと、再びテーブルの上に消えた。
「ルール知らないの?教えてあげよっかあ?」
車中でずっと千代の尻を撫で回していた若い男がヤンキー座りをして千代を見ていた。火をついた煙草を片手に、今行われている麻雀には参加していないらしい。
千代はそれにも力なく首を振ると、ぐったりと床に伏した。
(寒い……、ここどこ)
じりじりと皮膚を痛めつける冷たさが、千代の思考力を奪っていく。
テーブルと男達の脚の隙間から周囲を見渡すと、廃墟ビルの一室のようだった。とはいえ電気はついているし、水道も使えているようだった。
車の窓ガラスは運転席とフロント以外はスモークで、ここまでくるまでの道のりも千代にはわからない。その上、目隠しをされてこのビルに連れ込まれたので、周囲がどういう場所なのかすらわからなかった。
口に突っ込まれていた
(手馴れてる……)
こういうことをするのが初めてではないとわかる。見た目はちょっと不良のそこらへんにいるような男達だが、犯罪をすることに抵抗など微塵も感じていない。
(臣さんに連絡入れた様子もないし……、私どうなるんだろ)
誘拐というのはわかるが、一体なにを目的にした誘拐なのかがわからない。
明は千代のことを「臣の餌」と言った。ならば臣を呼び出すための誘拐だとしても、臣とどうやって連絡を取る気なのか。
「大丈夫だよー。ちゃんとあんたんとこの同居人が連絡したって、俺に報告あったから」
千代の頭の中を読み取ったかのように、明が再びテーブルの下を覗き込んできた。
口はもう自由だが、千代は答える気にはならなかった。
(アビゲールとカレンか……。でも、連絡したって、誰に?……臣さん?)
この状況は間違いなく臣に関係があるのだろうが、果たして連絡がいったところで、臣が助けに来てくれるのだろうか――?
考えたくても、寒さで頭がずきずきする。思考がまとまらない。
「ところでさあ、千代ちゃんは近藤組の臣とどこで出会ったのかなあ」
明の声がしんと低くなった。
先ほどまで、どこかふざけているようだった声色が、千代が頬をつけている床のように冷たくなる。
答えなくない。答えたくなかったが、今ここで答えないと、殴られるだろうか。
「あの臣があんたみたいなちんちくりん選ぶのも珍しいんだよねえ。ちょっと前まではコロコロ女変えてたらしいけど、皆似たようなケバくて巨乳で尻でかタイプだったし。あんたみたいにマッチ棒みたいなのは超珍しいっつか、臣の好み的にはレア?」
(臣さんの昔の女――)
なにそれめちゃくちゃ気になる。
思わず寒さも忘れて明の話に食いついてしまった。ぐっと力を込めて頭を持ち上げれば、覗きこんでいた明の細い目と目が合う。
「しかもあの狂犬志摩が土下座して詫び入れたって?今までの女にゃ絶対なかったことだ。しかもそのあと、あの志摩をぶん殴ったそうじゃねえか」
狂犬?志摩?ぶん殴った?
一瞬なにを言われているかわからなかったが、ふと数日前のアレを思い出した。
「……あれは、志摩さんが私をアバズレ扱いして、それを謝罪してくれた、だけ、です」
千代が口を開くと、明とその他がげらげらと大笑いした。
ひんやりしたコンクリートの壁に反響して、千代の寒さからくる頭痛が悪化する。
「だからあ、それが珍しいっつってんじゃん。あの志摩が臣の女にへつらうなんて、今まで一度だってなかったんだぜ?ゴシュジンサマの臣のことは尊重してっけどな、臣の女に敬意払ってるとこなんか見たことねえよ」
明がにやりと笑う。
さっきから聞いてれば、なんなんだこいつは。
(見たことねえよ、って、なにそのストーカー発言)
明は臣と志摩のことに詳しい。
どう考えても友人ではないようなので、ふたりをずっと監視していたということだろう。
(……臣さん、こいつやばいよ)
笑っているのに笑っていない三日月に、千代はぞっとした。
それを見透かしたかのように、明の手が不気味に千代へ伸びてくる。
「あいつらの弱点になりそうなもん、やっと見つけたんだからよ、精々有効活用させてもらうわ」
がし、と髪を掴まれた。ベリーショートと称されるほど短くしている千代の髪を容赦なく根っこから鷲掴み、テーブルの下からずるずると引きずりだす。
痛い。涙が出てきた。
明が千代から離れると、例の無表情コンビが千代の体を支え起こす。
そのまま持ち上げられて、麻雀牌が並べられたままの卓上に乱暴に座らされた。
「あー!ちょっと明さん!俺もうすぐあがりだったのに!」
麻雀に興じていた男が悔しそうに喚いたが、明に一瞥されるとすぐに大人しくなる。
じゃらじゃらと牌を尻に敷きながら、千代は明を見上げた。
薄暗い蛍光灯を背に、不気味な男が千代を見下ろしている。
「……臣さんをどうする気なの」
千代を「餌」に臣をおびき出して、どうする気なのか――。
「それは見てのお楽しみ」
千代の問いに、明はにっこりと微笑んだ。
「で、さ。まださっきの質問答えてもらってないんだけど」
え?
言葉の意味がわからず聞き返す前に、左頬がカッと熱くなって体が衝撃でのけぞった。一瞬遅れて、じりじりとした痛みが襲ってくる。
殴られた。
「臣とどこで出会ったんだって、俺、さっき訊かなかったっけ?」
広い卓上で転がるような体勢になった千代に、明が覆いかぶさってくる。
「あんたみたいな一般人丸出しの女がさあ、あの臣をどうやって骨抜きにしたの?てかできるの?こんな小学生みたいな薄い体でさあ」
ガムテープでかんじがらめにされた体の表面を、明の手がぺたぺたと這う。
確かに千代は細い。乳もあまりない。日本人女性として平均の身長だが、バランスがとれているので実際より背が高く見える。骨格が綺麗だと、以前アビゲールに褒められたが、本当に褒められているのかわからなかった。
「……んー、でも、顔は好みかも」
そうぽつりと呟いた明の手が、千代の顎を容赦なく掴み上げた。
頬がへこむほど強く掴まれて、痛い。
「なんすか明さーん、お預けだって言ったのに明さんのがその気になってんじゃないすか」
周囲の男たちがげらげらと笑う。その笑い声が耳障りで、千代は眉間に皺を寄せた。
そんな千代の顔を、明が鼻息がかかるほどの至近距離で覗き込んでくる。
なにを考えているかわからない、この距離ですら開いているのかすらはっきりしない目に見つめられ、千代は思わずその視線を真正面から受け止めてしまった。
「えー、なにあんた、実はすっごくかわいくない?」
明の煙草臭い口臭が鼻を直撃する。テーブルから飛び出した千代の膝に、明の反応した股間が押し付けられていた。

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