ロンリーハーツ
僕の人生に必要な彼女
『ちとせさん・・』
『あんたのピノキオ、宥めてあ・げ・る』
『ちとせさん・・・あぁっ』
『んん・・・あんたの、口ん中入りきれないくらい・・・おっきくなってる・・・』
『う。あ、ちょっと・・・』

ビービーッ!ビービーッ!

夢か、と思いながら目が覚めた時、僕の隣で寝ているちとせさんが「うるさーい!」と言いながら、右手をバタバタを泳がせていた。

「ちとせさん、そっちに目覚まし置いてないよ」
「だーっ!いぶきっ!さっさと止めな!」

ちとせさんは、枕に顔を埋めたまま、僕にわめいた。

「はいはい」

消化不良な夢見た上に、隣の彼女からは命令されて。
それなのに、僕の顔につい笑みが浮かんでしまうのは、ちとせさんがごく自然に、僕の名前を呼んでくれたから。

それだけで朝一からご機嫌な僕って、単純すぎだろうか・・・。

やれやれと思いながら、頭をガシガシ掻いたとき、上体を起こしている僕と、まだ横になってるちとせさんの目が合った。

「あんたさー、あんなおっきい音じゃなきゃ、目覚めないの?」
「そういうわけじゃないけど。あれ、15年前から使ってるし」
「じゃあ壊してあげる」
「結構です!」

僕たちは顔を見合わせて、クスクス笑った。

あぁ、寝起き早々から楽しい!
それに、朝起きて、一番にちとせさんの顔が見れて・・・嬉しい。

僕はかがんで、寝ているちとせさんにキスをした。

「おはよう、ちとせさん」
「・・・おはよ」
「僕は仕事だからもう起きるけど、ちとせさんは夜勤でしょ?まだ寝てていいよ」
「・・・うん、ありがと。ごめんね、昨日は」
「なんで謝るの?」
「あんたの睡眠妨害したから」
「そんなこと気にしなくていい。それより昨日は仕事、早退した?」
「うん」

だよな。
暗い中でも眩しがるほどの片頭痛があったら、ちゃんと仕事できないし。

「今度からは、あの状態で車運転したらダメだよ」
「タクシー捕まえるのもめんどーだったし」
「僕を呼べばいいでしょ」
「で、でも、あんた寝てた・・・」
「けど僕んちに来てくれたよね?ちとせさん」
「ぐ」
「仮眠室で寝るって選択肢もあったのに」と僕が言ったら、ちとせさんは、クリクリした目をキョロキョロとさまよわせた。

照れてる。可愛い。
って言おうかと思ったけど、ちとせさんが困るだろうと思ってやめた。

代わりに「一番ベストな選択だったよ」と言ってキスすると、ちとせさんから軽く小突かれた。

「いてっ」
「痛くしてない。嘘つくな」

照れ隠しに強がってるちとせさんの顔も態度も、すごく可愛い。
僕はちとせさんにニコッと微笑むと、すぐ真顔になった。

「調子はどう?」
「もう大丈夫。あい・・・伊吹」
「ん?」
「ありがと」

ちとせさんに引き寄せられた僕は、彼女の望むままキスをし、彼女のキスに応えた。

「・・・これ以上するとやばい・・・やめないと」
「ん・・・」

渋々唇を離して、隙をついて軽く啄むキスを一度だけした僕は、名残惜しくベッドから降りた。

「ちとせさん、今日仕事行くんだよね?」
「そのつもり」
「まだ寝るでしょ」
「うん」
「目覚ましセットしとこうか?」
「うーーーーーあれうるさ過ぎ・・・だけど、寝過ごすのもヤだし。お願い」
「ちとせさんの仰せのままに」と僕は言いながら目覚ましをセットすると、シャワーを浴びに行った。




寝ている間に汗かいたし、昨夜もちとせさんとたくさん動いた・・・から汗かいたのか。

昨夜のセックスは、今まで一番激しく感じた。
そしてちとせさんの去勢張ってた部分が剥がれ落ちて、素が見えた気がした。

今までもちとせさんとセックスをするたびに、心を寄り添わせてると感じていた。
過去の女性たちより、ずっと強く。
でも昨夜は、体だけじゃなくて、お互いの孤独な心もひとつに交わったような、ちとせさんと心の奥深いところまで一緒になれた、そんな気がした。






「コーンフレークと。牛乳・・・よし」と僕はつぶやくと、冷蔵庫を閉めた。

ちとせさんは、最近コーンフレークがブームだ。
しかもメーカーまで決まっている。
そんな彼女のクセが面白い。

うちから病院へ行くのは、ちとせさんちからよりも遠い。
だけどちとせさんは、うちに着替えを置いてるし。
歯ブラシやスキンケアグッズもあるし。
シャンプーとかは、僕の使ってるし。

ちとせさんがうちに来るたびに、「それ、うちに置いとけば?」とさりげなく言ったおかげで、彼女の物が少しずつうちに増えていったことを、僕は当たり前みたいに受け入れている。

気づけば僕はニンマリ笑っていた。

前、ちとせさんから「私も鍵あげたほうがいい?」と聞かれたけど・・・。
行けば片づけしないといけないし、ちとせさんちには、食材はおろか、調味料もほとんどない。
だから、料理するならうちに来てもらった方が、お互い好都合というわけで。

まったく。
あの人料理しないのに・・・だからヘタだという自覚もないんだろうけど。

とにかく、そんな状態で、妊娠したい、子ども生みたいって・・・。

『ちとせさん、離乳食どうするつもり?』
『そんなの売ってんだから買えばいいじゃん。私が赤ちゃんの頃より、今の方が品揃えも豊富だし、質だって良くなってると思うし。便利な世の中よねえ』

と言いながら、ハハハと笑うちとせさんを見ていたら、僕があれこれ考え過ぎなのかと思ってしまう。
あのぶっ飛びが本来の当たり前・・・。

いやいや!
胎内時計がチクタクうるさいから妊娠したいという考えは、やっぱりぶっ飛び過ぎだ!

だから昨夜も僕はちゃんとプロテクションをつけた。
あのときちとせさんは、片頭痛が収まったばかり、というのもあったんだろうけど、僕が避妊したことに対して、いつもみたいに舌打ちしたり、明らかに残念だ、という顔はしなかった。

ただ、僕とひとつになれてよかった。
そんな顔をしていたような気がする。

あれを境に、僕たちの関係は変わったと思っていた。
より深くなったと思ったし、ちとせさんは「妊娠したい」という固執した思いを手放したと思った。
もっとお互いのことを知っていこう、みたいな気持ちも芽生えたと思っていた。
少なくとも僕は、ちとせさんのことをもっともっと知りたいと思っていた。

だから夜勤明け翌日、ちとせさんがうちに来なかったことが信じられなかった。






「なんで・・・」

スマホも通じないんだ?
しかもちとせさん、うちにも帰ってない・・のかどうかは知らないけど、とにかくマンションにもいない。
仮眠室にはいなかったし。
実家に帰っているのか?

悶々としながらロクに寝ないで翌日を迎えた僕は、まずスマホに手を伸ばした。

・・・やっぱりつながらない。
わざと切ってるのか?

僕はいつもより早めに病院へ行った。
もちろん、仕事前に外科病棟へ行くために。



「新城先生?昨日から休み取ってますよ」
「・・・・・・休み?」

しかも昨日から一週間って・・・。

「ああ・・あの、なんで休んでるのか聞いてませんか?」
「さあ、私は聞いてませんけど。藍前先生?大丈夫ですか?」
「え?あぁはい、大丈夫です。すみません」

どうにか「ありがとう」と教えてくれた看護師に言うと、僕はスタスタと歩いていた。

ちとせさん、休暇取ってるって・・・。
なんで僕に言わなかったんだ?
なんで・・・。

それよりちとせさんはどこに行った?

今のところはそれが一番重要事項だ。
まったくちとせさんは・・・僕を散々いたぶって。
寄り添ったと思ったら逃げるし。

そんなに僕に踏み込まれるのが嫌なのか?
ひとりになりたいと思いながら、その実僕を求めてるくせに!畜生!!

会ったらおしおきしてやる!




僕は心の中で憤慨しながら、鼻息荒く理事長室へ向かった。

「失礼します」
「藍前先生。どうした?」
「あの・・・新城先生の行方、ちとせさんのお兄さんである理事長ならご存知かと思って」
「ああ。あいつなら今玄武の別荘に行ってるんじゃないかな。俺に使っていいかって聞いてきたし。ちとせに用があるのか?」
「・・・はい。すごく大事な用があります」
「仕事のこと?」
「いえ。プライベートで」

そのときの僕は、理事長が別荘の場所を教えてくれるまで、絶対引くもんかという顔をしていたと思う。
そんな僕の意地が通じたのか、僕がここ勤務になる前から理事長とは少しだけど懇意にしていたおかげか。
理事長は別荘の場所を紙に書いてくれた。


「この辺りはちょっと分かりづらいと思うが、ここを過ぎると後は迷うことないと思う。伊吹は頭いいし、地図読める男だから大丈夫だろう」
「はい。この地図で大体分かりましたので」
「伊吹」
「はい、英雄(えいゆう)さん」
「俺の妹、表面的には頼れる姉御肌で通ってるけど、意外と小心者だから」
「知ってます」と僕が言うと、英雄さんはククッと笑った。

「あ、そう。じゃあ仕置きは程々にしてやってくれ」
「そのつもりです。これから長いつき合いになるし」と言いながら、僕は立ち上がった。

腕を組んだ英雄さんが片眉上げて僕を見る。

「じゃあ幸運を祈る!」
「どうも。英雄さん、ありがとうございました」
「休暇届ちゃんと出しといてくれよー」という英雄さんの声を背に聞きながら、僕はズンズン歩いて行った。










「・・・ここか」

確かに道中分かりづらい道はあったけど、後は比較的すんなり分かった。
海が近くにある新城家の別荘は、あたりに他の家がないせいか、ひっそりと佇んでいる。

お手伝いさんとか管理してる人がいるのかな。
じゃないとちとせさん、この2日間、ロクに食べてないんじゃないか?

焦る心を宥めるように、右手の平をズボンにすりつけると、チャイムを鳴らした。


「あ・・・・・・いぶき」

僕は「お邪魔します」とぶっきらぼうに言うと、驚くちとせさんに構わず、靴を脱いで中へ入った。
ちとせさんが無事に生きてるということに、ひとまず僕はホッとする。

おしおきはそれからだ。

「ね。あの、あんたなんでここ・・・」
「英雄さんから聞いた。あのさ、ちとせさん」

いつの間にか僕は、ちとせさんを壁際に追いやっていた。
逃げ道を与えないよう、彼女の両脇に手を置く。

「な、なによ」
「妊娠したの」
「してない」

・・・どうやら本当のようだ。
ホッとしているのに、なぜか残念だと思ってる僕は、ちとせさんのぶっ飛びに感化されてしまったらしい。

「ねえ、伊吹・・・」
「僕から逃げるな」
「・・・は」
「そんなこと、僕が許すとでも思ってるのか?」
「な、何言って・・・」

「ちとせさんの人生から僕を締め出すな」




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