恋をしようよ、愛し合おうぜ!
16
水曜の午後のフライトで、トムがアメリカに帰国するため、野田さんたちは午前中に本契約を交わすことになった。

前もって準備すること自体はあまりないけど、時間に余裕を持った上で準備をしたほうがいい。
というのは、野田さんと荒川くん、そして私3人の一致した意見だったので、私は朝一で会社へ行くことにしたのはいいけど・・・。

「通り道だから」というのは、ホントかどうか知らない。
だけど、「またラッシュにもまれてヘタられたら困る」という野田氏の意見には・・・うーん、同意せざるを得ない。

というわけで、ここは野田さんの好意に甘えて、アパートまで迎えに来てもらった。
というか、私が「結構です」と言っても、この人聞く耳持ってないらしいし。
なんて思いながら、隣の野田さんをチラ見すると、野田さんは、前を見たまま「なんだよ」と言った。

いつもどおりの低音ボイスの響きでホッとする。

「・・・よかった、怒ってなくて」
「あ?あーいう目線受けるのは慣れてるし。あんくらいで怒んねえよ」と言った野田さんの声は、むしろ楽しそうだ。

今日は午前中からうちの部屋の撮影があるため、悦子さんとクリスティーナとおしゃべりしてた時に、ちょうど野田さんがやって来て・・・。
案の定、野田さんは、朝から悦子さんとクリスティーナに「品定め」を受けることとなった次第だ。

ていうより、昨日の夜、二人に野田さんが迎えに来てくれることを言ったら、二人ともめっちゃ興奮して「会いたい~!!」って言ってたし・・・。
部屋の撮影が今日なくても、あの二人のことだから、絶対待ち伏せしてでも野田氏に「会った」はずだ。

「それよかあいつら、朝からテンション高かったよなぁ」
「あ・・ははっ、そうですねっ」

朝弱い私から見たら、二人のガールズの元気は神技としか思えない。

「それに俺を見る目は純粋に“鑑賞”だったし」
「嫌じゃないんですか?」
「別に。あいつらの目線には、嫌味も媚もなかったからな。誰かと違って俺を素直に賞賛してくれたしよ」
「はい?“誰か”って誰ですか?」
「分かんねえのか?やっぱおまえ、朝よえーな。頭働いてねえじゃん」
「・・・なんですと?」
「しょーがねえ。ヒント出してやる。1・今俺の隣にいる女。2・朝弱い女。3・・・」
「もうヒントは結構ですっ!どう考えても“誰か”って私じゃないの!ヒント出さなくても分かるわよ」と私がブツブツ言ってると、隣の野田氏は心底おかしいと言った感じで、ゲラゲラ笑っている。

・・・だから。
朝からこの人のこういう顔を見ると、鳩尾がキュンって疼いてしまう・・・。
私の体内で、ときめきホルモンが活性化しつつあるのを自覚しつつ、コホンと咳払いをして照れをごまかした。

「・・・どうやらあいつらには、合格もらえたようだ」
「え?何か言いましたか?」
「いいヤツらと友だちになったな」
「ですね。私もそう思います」

心地よい気持ちが体を満たしてるのを感じつつ、私は助手席にもたれて目をつぶった。

「あと20分程で会社に着くが、途中でコーヒーでも買うか」
「いえ、結構です。会社ので大丈夫・・だけど、野田さんが飲みたいなら」
「いや、俺もいい。チョコバーは」
「それも会社ので大丈夫です」
「あ、そ。着くまで寝てていいぞ」
「大丈夫ですけど・・・目、つぶります」と私がつぶやくと、隣からククッと笑い声が聞こえた。



二度目来たときと同じチョコバーを、野田さんが奢ってくれた。
いつも会社(ここ)で飲んでいるディカフェオレを荒川くんが持ってきてくれたのも、二度目同じシチュエーション。
だけど、私はラッシュに酔ってないっていうのが、前と違ってた。
それなのに、二人ともすごく優しい。

・・・いや。荒川くんは最初から私に優しく、気さくに接してくれていた。
だからか、野田さんの優しさが、妙に心に染み入る。
もしかしたら、今日でお別れだからかな。
最後くらい私にイイ思いさせてあげようという、野田さんなりの思いやりなのかも・・・。


作成していた契約書に不備はなかったものの、話し合ってるうちにいくつか追加事項が発生したので、それらを入力して作り直す、という作業を二度して、新たな契約書が完成。
それに双方がサインをして、無事契約が結ばれた。

あぁよかったという安堵感と、何かを成し遂げたような達成感が、体の中から湧き起こる。
これで私の仕事は終わったけど、野田さんたちはこれから始まるんだよね。

もう一度、トムにテレビ局の通訳の仕事を紹介してくれたお礼を言って、トムとレンの二人を外まで見送る。
「これで私の役目は本当に終わった」という感慨に浸りながら、野田さんと荒川くんと一緒に、オフィスへ戻っていた。

「おめでとうございます」
「おう。ありがとな」
「ありがとう!」とはしゃぐように言う荒川くんは、嬉しさを隠しきれないのか、テンション高い。

「これからがお二人にとっては始まりですね。がんばって・・・」と私が言ってる途中、野田さんが「おいおいなっちゃんよ」と遮るように言ってきた。

「はい?」
「今日で最後のような言い方してるが、おまえだってこれから始まりじゃねえか」
「・・・・・・はい?私、も?」

つい立ち止まった私は、キョトンとした顔で野田氏を仰ぎ見る。

「ああ。“プロジェクトが終わるまで”って、部長から聞いてねえのか?」
「え・・でも、あちらにはレンがいるし」
「こっちも専属の通訳は必要なんだよ」
「あ・・・・そう、ですか」
「なんだよ、その腑に落ちねえって顔は」
「うーんと、今日の野田さんは、今までで一番優しいから、きっと最後くらいは私に優しくしておこうって思ってたのかなって、きゃあっ!」
「んだとぉ?」
「ちょっと野田さんっ!やーめーてぇー!」
「俺は“いっつも”優しいはずだ。な?荒川?」


と問いかける野田氏の声は、半分脅しが入ってる上に、いきなり私の髪をグシャグシャとかき回すからもう・・・ビックリしたじゃないの!
そして野田さんに聞かれた荒川くんは、クスクス笑いながら「そうですね」って無難な答えを返してるし。

刑執行を免れた囚人みたいな気分・・・ってちょっと待ってよ。
なんで私が囚人になってんの!?
とにかく・・・よかった。

これで最後にならなくて、よかった。
という気持ちを、私はハッキリと自覚していた。


もう少しでお昼休みに入る時間になっていたこともあって、社食へ出向いた私たち3人は、早めのランチを食べた。
私のA定食は、野田氏の奢りだ。

「ものほしそうな顔してる」と言っては、から揚げを一つくれたり、「おまえもっと食え」と言っては、ポテトサラダを一口分くれたり。
なんだかんだ言っても、野田さんの「優しさ」は、その後も継続されているなぁと思いつつ、私はその好意をありがたく受け取った。

プロジェクト関連の仕事は、今日はそれで終わりだったので、ランチ後、私は家へ帰った。




日当たり具合で写真写りも微妙に変わるため、部屋の撮影は、午前と午後行われると悦子さんから聞いていた。
私が帰った頃は、ちょうど午後の撮影を始めよう、という時で、自分は写らないけど、その場に立ち会わせてもらった。

突発的なアクシデントもなく、撮影は順調に進んだ。
クリスティーナから「ホコリを取っておけ」とアドバイスを受けてたおかげだ。
それと、悦子さんをはじめとした、撮影クルーの見事なチームワークのおかげでもある。

みんなで何かを創造することが、私、好きだなぁとしみじみ実感した。





相手の会社に日本語ペラペラのアメリカ人・レンがいるから、契約を結んだ時点で私は必要ないだろうと思っていたけど、野田さん側も専属の通訳が必要だというのは、私もプロジェクトに通訳として関わって、そのとおりだったと実感していた。

みんなで力を合わせて、一つのものを創り上げていくことは、とても楽しいし、やりがいがある。
最初は報酬の良さだけ見て即決したことが、何年も昔のことのように思えてくるなぁ。
あの時は、お金ギリギリだったし。
今でもギリギリ生活をしていることに変わりはないんだけど、一つの安定した収入が入るという安堵感を得たからか、通帳を見て「ハァ」とため息をつくことはなくなった。

私がプロジェクトに関わるのは、週1か2日の割合だ。
野田さんの会社で行われることもあれば、レンの会社へ行くこともある。
午後から出向くときは、大抵残業になってしまうけど、そのとき私に他の仕事が入ってなければ、野田さんと荒川くんと一緒に晩ごはんを食べることもあった。

レンのお宅にお呼ばれされたこともある。
もちろん、野田さんと荒川くんも一緒だ。
15年日本に住んでるレンは、恭子さんという日本人女性と結婚している。
今年結婚10年目という二人は、本当に仲が良い。
「10年経ってもラブラブだ」とレンは自分で言ってたけど、それがちっとも嫌味に聞こえないのは、お互い敬い合って、お互い愛し合って、お互いを幸せにし合っているからだろう。

そんな二人を見てると、「これが結婚生活だよね」と思えて・・・やっぱりあの人と結婚したのは間違いだったと思わざるを得なかった。



本格的にプロジェクトが始まって1ヶ月が過ぎた、ある木曜日。
この日も少し残業した後、野田さんに誘われて、晩ごはんを食べに行くことになった。

「あれ?荒川くんは?」
「帰った」
「あ・・・そう・・・」とつぶやいたまま、ポツンと立ってる私に、「行くぞ」と野田さんは言うと、駐車場へと歩き出した。


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