元教え子は現上司
31歳、職探し中
「これもダメでしたかぁ」

 瀬崎が頭を抱えてうなる様子を、頬杖をついて見ていた。自分よりも年下だろう彼を見て、ほんと、手のかかる顧客と出会っちゃってかわいそ、と他人事のように思う。
  
 久松碧、三十一歳。絶賛、就職活動中だ。

「もう一回聞きますけど、講師に戻られる気はないんですよね?」 
こちらをすがるように見上げてくる瀬崎に、碧は無言で頷くことで返事をした。
 うぅ~ん、と瀬崎は唸って、テーブルに突っ伏す。碧はふぅ、と小さく息を吐いた。
彼とのこんなやりとりも、もう半年になる。正面に置いたノートパソコンが瀬崎の頭に押されて少しずれた。こらこら寝ないの、といつも生徒に言っていた言葉が反射的に頭に浮かぶ。

 半年前まで、碧は塾の講師をしていた。転職は同業界に横滑りして入るのが一番手っ取り早いことはわかっている。自分の持ってる経験もスキルも活かせる。だから瀬崎が脇に置いている求人情報の入ったぶ厚いファイルに、塾講師や予備校講師の求人が待ち構えるように挟まれていることは知っている。

 でも碧はそこに戻るつもりはなかった。鎖骨の上あたりで切りそろえている黒髪を耳にかけながら、年下のエージェントに同情に満ちた視線を向けた。こういう場所で「常連客」がいるのってどうなんだろ、このひとにとって。

 小さな会議室がいくつも並んでいる、求人斡旋専門の会社。いわゆる転職エージェント。業界最大手を謳っているけど、碧に限っていえば、効果は期待できないでいる。少なくともこの小さな会議室に座ってこの半年でした成果と言えば、履歴書の書き方がうまくなったことと、足を組んで座るクセが改善されたことくらいだ。

「あ、これはどうです」
 瀬崎は顔を上げると、うれしそうにノートパソコンを引き戻して、タイプをカチャカチャと打つ。画面に表示された一枚の求人票に顔を近づけて、
「株式会社ウィング・エデュケーション」
 碧は机に向かって少し身を乗り出しつつ首を捻った。社名からはなんの会社なのか想像もつかない。

「パソコンで勉強できるイーランニングってあるじゃないですか。そのイーランニングの企画会社です。塾や学校向けの学習ソフトを作ってるんですよ。ベンチャーなんですけど、だからこそ勤続年数じゃなく実力で評価される会社みたいです。ここなら久松さんの経験も活かせるんじゃないですか」

 経験、とおうむ返しに呟くと、瀬崎はニコニコ笑ってファイルの一番はじめのページを開いた。ここに申し込んだときに書いた、碧の履歴書のコピーが挟まっている。

「講師になる前は教員としても働かれてたんですよね? 現場一筋だった久松さんならではの視点とか、企画できるものとか、いろいろあるんじゃないですか」

 いろいろ、ねぇ。

 ぼんやりと分厚いファイルを見つめながら思う。

 碧が教師だった頃のことなんて、もう親だって覚えてないかもしれない。
 たった四ヶ月。まだ二十三歳にもなってなかった。
 だけど碧にとっては、忘れられない四ヶ月間だった。
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